極めるということ

こんにちは、Joです。

Jenerateの創業間もない時から参加してくれたコアメンバーに東郷君という人がいます。

歴史好きの方はご存知かもしれませんが、彼は薩摩藩のお家流と言われたあの示現流を興した東郷家の出身で、自身が13代目宗家を務めています。

来年の大河ドラマが「西郷どん」という影響もあるのか、今朝のフジテレビの「めざましテレビ」で示現流が紹介されました。東郷君も宗家として堂々とした姿を披露しましたので、ちょっと示現流について書いてみたいと思います。

示現流は初代薩摩藩主の島津家久の師範役であった東郷重位によって1600年代初頭に誕生し、江戸後期には薩摩藩の御流儀として藩外へ伝授することを厳しく禁止された御留流であり薩摩藩の士風形成に大きく貢献したそうです。

そんな示現流の精神がよく窺えるのが以下の4つの教えです。

・刀は抜くべからずもの

・一の太刀を疑わず、二の太刀は負け

・刀は敵を破るものにして、自己の防具に非ず

・人に隠れて稽古に励め

無益な戦いを戒めながら、危険を察知したら一撃必殺という「本当の強さ」を追求した精神を重んじています。特徴的なのがその稽古なのですが、剣の戦いにおいて必勝にこだわりぬいた「基本」を重んじています。

以下「示現流東郷財団WEB」より抜粋

示現流の稽古では、一旦木刀を握れば、敵に対するのと同じ心境になることを求められるため、互いに礼をかわすことはありませんし、観衆に対しても同様です。 当流の基本である、右手で自然に振り上げた形に左手を添えた構えを「蜻蛉」と言い、そこから打ち下ろした形の構えを「置き蜻蛉」と言います。これらの構えが示している姿勢や太刀筋は、以後修得する技法の基礎を成すもので、構えがしっかりしていないと、技の全てに狂いが生じてくるものです。

稽古には、主に「立木打」と「型」があります。立木打は、樫や椎、栗などの堅い木を二尺ほど土中に埋めておき、五間ほど離れたところから走り寄り「えい」の掛け声と共に右、左に打ち込むもので、間合い、手の内のしまり、腰の据わり、迅速な進退等を身につける稽古です。かつての修行者は、自宅の庭で人に隠れて稽古に励み、「朝に三千、夕に八千」打ったと伝えられています。

目的に忠実に、その目的を果たすために最も重要な基本を徹底的に習得する、単純ですが理にかなったアプローチだと思います。要は、大切なことは得たスキルを活かすための目的やビジョンを持っているかどうかだと思います。実際示現流は基本型をベースに、「勝つため」に様々な応用型があったようです。

0–1の事業創造においても様々なスキルが必要とされます。

そういったスキルもMBAや会計学校、プログラミングスクールなどで習得することができます。しかし、いくら勉強してもその使い道がなければ意味がないですね。

極めるとは、自身の意思(目的やビジョン)を持ち、実現するために自己の成長にとことん貪欲になることだと改めて感じた一日でした。


Originally published at medium.com on August 29, 2017.

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