名前を間違うことに妙に敏感かもしれない

日々やりとりしてると、特に手で文字を書かなくなってから、自動変換というやつでうっかり漢字を間違えそうになることが増えた。

たかが漢字一文字なのだけど、それが異様に気になる。人がタイピングミスしたのに対して、そっと訂正を差し出すくらいに気になる。会う頻度の高くない人と話しをするときは、名前を忘れてたらもういっそ呼ばないし、絶対間違っちゃいけないっていう強迫観念すらある。

でも、人によってはそこら辺さほど気にしない人だっているわけで。そういうもんなのか…。ってちょっと悲しくなりつつも、いちいち目くじら立てるのもなぁと思う。けど、せめて自分は絶対間違えたくないし、仲がいいって思ってる人には間違えられたくない。

名前に対する異様な固執は、名字がある日を境に自分の意思と関係なく変わる、という経験が少なからず影響してるのかなぁと思う。結婚して姓が変わるのは、ポジティブな変化だし変わることを選択してる。

でも、家庭の事情で突然苗字が変わる、ってことがたまにある。小学校の時に苗字が変わったとき。持ち物という持ち物すべての名前を一晩で書き換えられた。貼り直したり削ったりしながら、その日を境に別の苗字を名乗って、別の人間になった。気がした。

結婚すると女の人は苗字が変わるというのもその頃に知って(今は必ずしもそうではない)、そうなったら今まで過ごしてきた自分がなくなってしまう気がして、だから唯一一生変わらない名前を大事にし始めた。自分の名前好きじゃなかったんだけど、それでも。

だから、苗字をベースにしたニックネームよりも名前をベースにしたニックネームを呼んでもらう方が嬉しかったりして。それをふと思い出したのは、友達がいつもの呼び名じゃない、名前から作ったあだ名でふと呼んだときに、「嬉しい」って笑顔で言ったから。

会社のあだ名文化によって、嫌いではないけどビジネスネーム(だと自分では感じてる名前)で呼ばれることに慣れてしまって、忘れてた。会社の人は会社の人として、必要以上には踏み込まないような距離感を保っているから、そんなに気にしてなかったんだろうな。

どう呼ばれたって、もうそんなに気にはしないけど、でもより嬉しい呼ばれ方ってきっとある。だからせめて、その人のその人たる名前は間違えたくない。その人が生きてきた歴史を大事にしたい。だからまた、タイプミスを見つける度にスッと直す係をし続けるんだ、私は。