天才の殺し方

皆さんは「ユニコーン」を知っているだろうか?ユニコーンとは評価額が10億ドル以上の上場前の非公開企業でシリコンバレーには50近くあるとされている。UberやAirBnBはその代表でもあり、Uberは創業からたったの5年で評価額は約7.7超円だ。名前の由来は神話から来ており、ユニコーン企業は既存の業界やエスタブリシュメントとも激しくぶつかりながら、その圧倒的な破壊的イノベーションで他を圧倒して決して飼い慣らされない聖なる存在でもある。

最近、アメリカのインターネット企業の老舗であるYahoo!がインターネット部門を売却とするというニュースが目に入った。まだ1994年、創業者の2人ともまだ大学生でサーバもスタンフォード大学に設置されていた時からの利用者で、インターネットの創世記である1995年、同じ年に創業した同志としては万感の思いがあった。ちなみにその当時、学生とともに会津の観光紹介のホームページをお金ももらわず好きで作り続けて、Yahoo!で「会津」と「東京」で検索すると自分たちの努力もあり会津は東京の3倍近くの情報があった。つまり物理世界を知らない人にしたら、インターネット上の世界では会津は東京の3倍大きかったってことである。

2年ほど前、会津大学開学20年を祝う新聞で「会津にシリコンバレーを」という見出しを目にした。自分にしてみたら1993年のデジャビュであり、あの会津にシリコンバレーはきっとできたかもしれない当時の狂騒を知っている身としたら、とても複雑な気分で正直とてもがっかりした。ただ自分が一つ言えるのは、実際に会津にシリコンバレーはできなかったし、その千載一遇のチャンスを20年逃し続けていた者には、これから20年経ってもきっとできないということだけである。正直、映画ブレードランナーのラストシーンであるレプリカントの雨の中の涙のシーンの気持ちである。20年経ってもまだこれから会津をシリコンバレーにするというのであれば、まず謙虚に過去の失敗に学び、若い未来のユニコーンたちを大事にする必要があるのではないだろうか?

自分は戊辰戦争で敗れた会津藩の藩士がカリフォルニアにまで移民したように、自らシリコンバレーに単身で乗り込んで仕事を作ったりネットワークをコツコツと築いている。また会津大学創立の1993年から外国から来た教員や家族と学生や事務局のスタッフ、地元の人々との交流の場として毎年りんご狩をしており、今年で22回目を迎えた。まさに継続は力というけど、こういうみんなが特に理由もなくふらっと集まれる場を提供するのは、無駄に多額の税金を作ってインキュベーション施設とかのハコモノを作るよりすごく大事だと思っている。実際ずっと続けるのは大変だしこういう活動はやめるのはすごく簡単だけど、やっぱりこういう場がないと会津にはシリコンバレーもできないと思っており、自分は自分ができる事をずっと継続してあきらめずにやっている。いつか若い人がこういうの場を見て同じような活動をしてくれればうれしいし、大好きな故郷に少しでも恩返しできればいいと思っている。

*2015年の福島民報の民報サロンに掲載された記事です。

追記:その後、スティーブ・ジョブズのメンターであったことでも知られるハイテク分野のマーケティングの大家といわれたレジス・マッケンナが"Silicon Valley is not a place, but a state of mind (シリコンバレーは場所ではなく、それぞれの人の心にある)"と言っていたのを知ってすごくいい言葉で胸に刻んだ。