たまに「個性」ってなんだろうかと考える。

別に難しくは考えていないのだけど、今の若い人って「自分らしく生きよう」とか「自分らしさは大事」とか言う人は多い気がしていて。

そういう人間が増えている事はとても良い事であるのだろうな〜。と思う反面、その分、個性って、自分らしくって一体なんだろうと思ってしまう。

実際、自分らしく生きれてる人なんてまだまだこの世に少なくて、本当に「自分らしさ」だけで生きてる。生きれてる人なんてずっとずっと少ないと思う。

まだそういう社会でも全然ないだろうし、個性が輝ける時代ではあるけど、どんな「個性」も受け入れられる時代ではないと思っている。

自分の周りに限った話かもしれないし、矛盾していたりする話かもしれないけれど、

SNSにカフェやレストラン、スイーツにグルメ、ファッションを載せて「これが自分」として、自己表現する時代である一方、その全員が全員、個性的であるかと言うと、そうは感じず。

有名人から受けた影響がガッツリ反映されてて、皆が行くお洒落なカフェにレストラン、皆が「いいね!」するものばかりを追いかけていて、それって「自己表現」なのか、「個性」なのか、と疑問になる。これってなんなのだろうと。

別にそれは自由であって、所詮、個性なんて自由で良いし、自由であるべきなのだろう。その人がそれを「個性だ」「これが自分だ」と訴えれば、表現すれば、それは「個性」「その人らしさ」なのだろう。

けど、疑問は残り続ける。

その人がその個性を、本当に自分自身であると認識しているのか、そうじゃないかという点で。


Twitterやフェイスブック、Instagramなんかのソーシャルメディアから得た情報は=でその人の個性と結びつくのか。

皆がしてる、皆が喜んでる。皆がいいね!するものと「個性」は全くの別だと思ってる。リンクもしない。

本当に個性的な人ほど、奇抜すぎて理解できないし、理解されてないし「孤独」に見えてしまう。けど、そういう人からはその人にしかない何かを感じ取れる。熱とか匂いとか。情熱や生命的なもの。

それは誰からも「いいね!」なんてされるようなものでもなく、その人も皆に認められる、評価される以前に、その人自身が自分と戦っている感覚や社会と戦っている感覚がひしひしと伝わってくる。個性的な人ほどに。

たまに思う、最近じゃ「個性は大事」「自分らしさは素晴らしい」とか、簡単に言える時代になっているのだけど、その分、違和感がずっとずっとある。

「個性」ってそんなに軽くて、簡単なのか。「個性」って千差万別なはずで「個性は素晴らしい」なんてやすやすと言える、言われるものなのか。

「自分らしく生きる」なんてそんなに簡単なのだろうか。

「自分らしく生きる」って、戦うことの方が圧倒的に多いんじゃないか、自分自身や社会、人と。本当に「自分らしさは大事」なんて言える社会なのか。

正真正銘、自分らしく生きようとした途端、「いい加減、大人になれよ」「普通じゃない」なんて中指を立てられることってないのだろうか?


個性って、自分らしさって、そう言うことなんじゃないだろうか。

まだまだ様々なものと戦うことの方が本当は多くて、理解なんてされず、本当の「個性」で生きようとした瞬間、その先には「孤独」や「不安」が待ってる確率の方が高いのじゃないか。と思う。

個性は何でもいい、どんな「個性」も馬鹿にしてるつもりも無いし、馬鹿にできることも無く、自由であり何だっていいのだろう。

けど「自分らしさは大事」「自分らしく生きよう」ってさ、凄く戦って、もがいて、けど、それが自分自身だからなんとか前へ進もうとするものなんじゃないの。

「個性は大事だぜ」なんて格好良い言葉だけを並べ立てた人間が素晴らしい人、素敵な人だと言われ、実際に、その個性のままに生きようと社会に馴染むことのない人は「非常識」「大人じゃない」と煙たがられ、嫌われる。

そういう社会、そういう雰囲気って、今ここ、この時にあるんじゃないかな。