自己と無我、無常を知り生きるということ

Hartwig HKD
सब्बेसंखाराअनिच्चा…

この世に変わらないものはない。社会も、人も、自分すらも絶えず変化している。

楽しいことも辛いことも、愛も、変わることが当たり前の真理。無常を受け入れれば迷いはきっと減る。形あるものにとらわれ、立ち止まってはいけない。新しいものはいずれ古くなる。美しい花もいずれは枯れ果て、またその種が美しい芽を出す。一つの瞬間にだけとらわれてしまっては、人は何も得られない。

季節が変わるように、生と死が交差するように、人の肉体も心も愛も変わっていく。それは決して悲しさではなく、美しさ。世界は無常である。無常の美しさに気付こう。

そしてこの世はシャボン玉のよう。生まれては消え、できては消える。無常の世界では永遠はない。それを知ろう。何かに執着しても人はなににもなり得ない。川の流れのごとく、無常とともにあなたも穏やかに生きよう。

無常の世界で怒り、悲しみ、憎しみ続けては、あなたは苦しみ迷い続けるだけ。執着する心を捨てれば、気持ちも悩みも流れ、心はいずれ解放される。あなたが幸せになれず、不幸から抜け出せずにいるのは、世の中のせいではない。あなたの心が解放されず、あなたは自分の心から抜け出せずにいるだけである。


自分のものという考えは捨てよう。その手に握っているものを良き心のまま、手放せる人間になろう。自分のものという執着は捨て、ただ自分を極めることをしよう。何かを欲しがり、手に入れることを続けていても、いつかは疲れ果てるだけ。

自分の手から欲と執着を手放そう。人は少ないものでも十分に生きていける。少ないもので満足できるか、幸せを感じれるかはあなたの心次第。手にする欲と執着から身を離し、生きている日々と喜びに目を向ければ、あなたの心をきっと軽くなれるはず。

自我にとらわれすぎず、無我を受け入れよう。あなたの自我、自己、自分は決して存在などしてはいない。今日のあなたと明日のあなたは違う。自己主張する「自分は自分」というアイデンティティーに固執してはいけない。永遠の「我」など存在しないのだから、自己にとらわれる必要はない。自己の解放は苦しみから抜け出す答えとなる。


人は「自分は自分」というアイデンティティーで時に自分を見失う。自我の抱え過ぎで自己を失う。しかし、自己のよりどころは自己のみに存在する。だからこそ「真実の自己」をしっかり見極めよう。今日のあなたは本当の自分なのか? 今までの自分は本当の自分なのか? なにかに執着し固執し、欲に生きる「自我」ではなく、本来の自分自身を見つけることで、迷いや悩みから自分を救う手段を発見できる。自分を最後に救えるのは自分自身しかいない。

社会や世界、周りの意識・思想に影響され、それとともに移りゆく「自己」ではなく、純粋な人格である「本当の自分」を見つけ、目を覚まさせよう。瑞巌主人公のように日々、自分に問いかけてみよう。今日という1日の主人公は自分であったか? 今日の自分は目を覚ましていたか? 明日からもぼんやり生きて、何かに惑わされていけないぞ。と。まやかしの自己ではなく、主体的人格である「真実の自己」を持って日々を生きよう。

---気が向いたらまた今度、続きを書くよ :)

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