僕が「孤独を愛し、孤独と向き合える人」が好きな理由

hiraoka
4 min readMay 9, 2016

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どんな生き方にも不安や恐怖は存在する。人は一人ではないし、自分という同一性にも「自意識」と「本性」があるように。

人には、こうなりたい・こうでありたいと思う「自己の意識」と、本当はこうであるという「本性」がある。自己同一性はその調和から生まれている。

だからこそ、人はいろんなものに迷い・悩み、不安を抱き葛藤もする。でも、どんな生き方も大変だ。楽な人生など望むべきではないし、考えるべきものではない。

楽な人生に楽しさも幸せもないことを理解しなくてはいけない。苦楽の人生こそが、最高な人生に近い。悩み、葛藤する生き方をできるのは幸せなことだ。幸せと感じるものだけを幸せと判断してはいけない。

もしも今、生き方に迷っているのなら、どんなものにも、誰にでも不安や恐怖があることを理解すれば、答えは見つかりやすくなる。必要なのは理解と少しの勇気。

人間、どんなものも怖い。誰かに馬鹿にされ、批判され、見下される時もある。友達が離れ、一緒にいた仲間も離れていくことだってある。

一人になり、孤独になり、誰も自分を見てくれず、自分は必要な人間ではないと自分で思い込んでしまう。70億人以上の人と一緒に暮している世界に1人、取り残されている感覚に陥る時だってあるだろう。

でも、それって悪いことだろうか? 大事なことはその時の自己と向き合うこと。決していけないことではない、向き合うべき時なだけであるはず。

アイデンティティなんてものは主観的な要素が大きい。自分が自分を解釈するという、思い込みで作りあげているに過ぎず、それに気付けることは、とても大切な経験になる。

孤独を感じ、前を向けない時は素晴らしい自己の瞬間に立ち会えているときだと考え、自分と対話して、自己意識と本性の2人の自分から、1つの答えを導き出せば良いだけだ。

僕は「孤独を感じている人」を弱い人間だと思うことはないし、間違っているや、いけない事態に陥っていると思うこともない。孤独と向き合う人はみんな、優しく強くなれるチャンスの中にいるのだから、僕はそれを素晴らしいことだと思っている。

でも、もしアドバイスを求められたなら、僕はこう言いたい。

孤独の葛藤の中で生まれる「自分はこうなりたい、こうでありたい」と思う心は、誰かの目を気にして、自分以外の人生を生きている中で生まれてはいないか?

と。他人にどう思われるか?どう見られたいか、などはどうでもいい。それよりも、自分と向き合い、自分の時間をしっかり生きることの方が大切だ。自己を見つめ、自分を見つけよう。余分な自意識で隠れてしまった本来の自分を見つけるべきだ。「どうありたい」か、などは置いていこう。

「孤独感」はそのためにある。孤独の時間は自己を見つめ直すとても重要な時間と経験になる。人の影響で自意識を変えることができても、本性というものは変わらない。

本性を知ること、それすら変えるのなら、自己と対比し、対話するしかない。孤独の時間はかならず一人。一人で居られるとても有意義な時間だ。時に自意識に覆われ、本性が見えなくなってしまった「アイデンティティを失いかけている自分自身」と向き合える。孤独の時間はそのための時間だろう。

そして、もしアドバイスを求めてきた相手が自分よりも若いのであれば、僕はその子の出した、どんな答えも正しいと受け入れてあげたい。模範から外れていても良い。「大人とはこうだ、生きるとはこうあるべきだ」と言って、彼の世界を壊すことはしない。クレイジーでも良く、愚か者でも良い。

自分の時間を生きる、自分の生き方をすることは恐怖と不安だらけで、その誰もが時に、1人ぼっちだと感じでしまうものだ。昨日までいた仲間や理解者は離れ、馬鹿にされ、批判されるときもあるだろう。

けれど、その中で生きていくことのできる「自分と向き合える人間」は、とても強く、とても繊細で、とても優しく、とても賢い。ときに孤独にしか見えない時があるが、その孤独すらも人生の成長の一部として取り入れている、とても素晴らしい人達だ。だから僕はいつも、そんな人に魅了され、孤独の力にも魅了される。

---事実、孤独は人にとってとても良いものであると僕は思っている。とても良い記事があったので、参考にリンクを載せておくことにするよ :)

What creative people understand about the importance of being alone(英文)

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