自信がないって話

「自信がない」「やっていける気がしない」という話を聞きます。社会経験や仕事経験が浅い若者ならまだしも、人によって差はあれど、社会で多くの仕事や経験を経て30歳を超えたベテランからも聞こえてきます。それを聞くたびに「なんだかなあ」と思っている自分がいます。

自信ってなんなんでしょうかね。
自分を信じること、自分の能力や経験を信頼すること、とか辞書には書かれています。過去の様々な経験や体験がそれを醸成していくのは明白で、俗に「成功体験」と呼ばれるものが過去の自分の判断や行動を肯定的に押し上げていくのだと思っています。成功体験と自信は比例するものと考えて大筋間違ってなさそう。

自信がない状態というのが「自分を信頼することが出来ない状態」を指すのなら、なんてもったいない話なんだろうと考えています。「成功体験」よりも過去の判断とその結果がポジティブではなかった「失敗体験」の結果が先に立っている状態なのでしょうか。

いいと思って、これでうまくいくと考えてがんばったのに、大きな結果が出なかった。よく「結果主義」「結果がすべて」と言いますが、僕はそうは考えません。大きな結果なんてそうそう出ません。イチローでさえ打率は4割に届きませんが、10回打席に立って3回強の結果を残し続けることが、大きな結果だと評価されています。業績が伸びなかったとしても、そこに至る過程が100%何もかも失敗だった、なんてことはまずないはずです。何しろよかれと思ってやっているんだから。

あまり結果結果言い過ぎると、「そう簡単に結果なんて残せないよ」となってしまうかもしれません。ただ「結果」にもスケールがあって、業務で大きな成果を残すことも、過程の小さなことで何かがうまくいくことも、この文脈では等しく「自分の判断が導いた結果」です。こうすればよくなる、と考えて行動した「結果」です。成功体験がないという人は、このスケールを過小評価している気がします。

一方で「評価」というのは自分以外の誰かがするものだと考えています。あの人はイケてる、あの人はデキる、あの人はカッコイイ。そういうのは自分以外の誰かだったり、その判断の結果そのものが自分にフィードバックしてくれることで、同じように自分が誰かに感じたり思うことが「評価」です。一番重要なのは「結果」で、結果がポジティブなものならば自分以外の誰かが自分のことを良いと評価することに繋がります。

対して「自己評価」というのはめちゃくちゃ曖昧なものだと思っていて、何かイシューに対してうまくいった、いかなかったということは客観的に判断出来ても、何もないところからの自己評価って「自分はそう考えているだけ」に過ぎません。自己評価はあとで一人で判断と結果を振り返ればよくて、それよりもひたすらによい結果へ繋ぐこと、それを他人が評価してくれること、そしてどうしたらそうなっていくのかを意識していれば、自分の能力や経験を信頼していけるようになるのではないでしょうか。他人の評価ばかり気にしていては本末転倒ですけども。

自分の場合、10年やってきたSIerでクライアントに信頼をいただいて長期の仕事に繋げられた過去や、gloopsに在籍していた超成長時代に地獄99%と絶頂1%のアドレナリン分泌体験があって、失敗も成功も神経剥き出しで経験した中で成功と呼べる結果があったことが、自信に繋がっていったのだと分析しています。その結果、自分を信頼するようになったので、自分はこの仕事を辞めることになったとしても、何をしてでも食べていけるだろうなぁと根拠はなくてもふてぶてしく思います。もちろん失敗体験は成功体験以上に苦しいほどしていますし、これからもたくさんすると思います。

1つ1つの判断を打率高く小さな結果を積み重ねていった場合、やがて大きな結果や他人からの評価になります。「自信がない」と考えてしまったら、過去の判断を振り返って、どれは正しかったのか?どれが正しくなかったのか?それは次どうしたら正しい結果に繋がるのか?を考え続けていれば、自信なんて言葉にいちいち振り回されることもなくなるんじゃないでしょうか。大事なのは、失敗しても打席に立ち続けること、考えることをやめないことだと考えています。