セミナーじゃなく、ディスカッションで。

新年おめでとうございます。今年も、ブログジェリー、書いて参ります。どうぞよろしく。

最近、いくつか文字や映像で見聞きしたことがきっかけで、これからのセミナーのあり方について考えたことを書いておきたい。あり方というか、いっそのことセミナーに変わる学びの場、てのを考えたい。

ひとりの講師の話を複数の受講者が聴く、前には講師がいてこちらには受講者がいる、資料は事前に配布される、テーマは決まっていて脱線はしない、時間が来たら終わる、終わって質問の時間を数分だけ与える、終わってから場所を変えて懇親会、というのがおおよそセミナーのパターンだろう。ここ数年、こういう形式のあらゆるセミナーが日本中の至る所で開催されていて、それはそれで学びたい人が満足できれば大変結構なことだと思う。

かく言うぼくも、ウェブでビジネスする人のためのカリキュラムを、もうかれこれ10年以上、いろいろなシチュエーションで呼ばれたり自分で企画したりしてコツコツと講義してきたし、そのおかげで幾ばくかを得て今日までなんとか生き長らえてきているわけで。いや、もちろん、それだけで食ってるわけではないけれども。そういえば、先日、下北沢でイベントした時に、河村さんから「伊藤さんが仕事してるトコ見たことない」って登壇中に言われたが、それはまぁいいとして。

で、考えてるのは、講師主導、もしくは主催者主導ではなくて、受講者主導のほうが絶対にオモシロイ、ということ。

まず、テーマも受講する人が決める。(なので、受講という発想はこのへんで消え失せる)「こういうことが知りたい」「こういうことをやりたい」「なぜなのかわからない」という「どうなってんだ?」というテーマを、知りたい人が決める。で、「オレもそこ知りたい」という人が加わってくる。そうして、「あ、それならね」と知ってる人が現れるのを待つ。これが面白いことに必ず誰か、いる。あるいは、「知ってる人を知っている」「そういえば、同じ話をあそこでやってたぜ」という人が現れる。

誰かの関心を呼んでいることは、他のところでも必ず話題、というか課題になっている。そういうのを、シンクロなんとかと言ったと思うが、忘れてしまったので、ご存じの方は「それはね」とコメントいただきたい。

ポイントは、その「それはね」という人を仲間に引き入れて、その人の話を聞く、というところ。講師を呼ぶんじゃなくて。そしたら、それとはまた違う視点で別の「それはね」という情報や意見を持つ人がいて、課題解決のためのアイデアをより厚みのある、具体的かつ実現性の高いものにしていく。もしくは、別の選択肢として多くのアイデアを共有できる、と言ったほうがいいかもしれない。こういう人が何人か話しだすと、参加者の間でどんどん情報流通が活性化する。目の前で、リアルタイムに。

つまり、彼らは講師として話すのではなく、同じ課題に向き合い、その解決策を共有する同じ立場の者として、そこにいる。だから、セミナーではなくて、ディスカッション。要するに、仲間に訊け、というわけですね。

「な〜んだ」と思うかもしれないが、実際のところ、なになに専門の誰それの話をシーンと畏まって聞くよりも、身近な人から聞き慣れた言葉遣いでもたらされる情報や知見、経験則は、ききかじりや知ったかぶりも含めて、かなり実効性を伴うことは、案外多くの人が実体験として知っている。これを集合知というのも、ちょっと違う気もするが、要するに仲間が答えを持ってる、ということ。

だいたい、講師と言われる人たちの情報パワーてのは、そんなに大きいわけではない(ぼくを含めて)。何かと何かのつなぎ合わせでコラージュしたものを一般論で論じる場合がほとんどだから、必然的にそうなる。しかし、仲間同士で共有、交換する情報は、うまくいった話もどえらい失敗した話もピッチピチの具体論だから、そのほうが実効的であるのは必定(ぼくを含めて)。

資料なんか作って事前に配ったりしない。その場の流れで話はどこへ進むのか誰もわかりっこないから、作っても意味がない。そう、だからテーマ(課題)自体も途中で別のものに置き換わったりする。どんどん、脱線して元の話は何だったか、どうでもよくなったりする。しかし、話が置き換わる理由はそこにあって、実はそっちにこそ、その解決の糸口があったりする。これ、かなりの確率で、ある。要するに、真の問題点は隠されていることが多い。不思議だが、みんなであーだこーだと言い合ってるうちに、そのことに気づく。

講師から定説やセオリーをただ聞かされるのではなく、自分(たち)で発見する、という瞬間がとても大切なわけで。たとえ時間がかかったとしても、身の付き方が違うし、自分メソッドに転換しやすい。で、それもまた、皆で共有する。

最後まで待ってから質問、なんかしない。途中でいくらでも挙手して発言する。わからない人が発言し、わかる人が発言する。誰もわからなかったら、皆で調べる。

時間もあまり気にしない。途中参加、途中離脱もOK。ついでに、場所を替えての懇親会も時間がもったいないので、最初っから食べながら飲みながら、やる。「え、そんなこと」と思うかもしれないが、同じ時間にみんなで同じもの食べて同じもの呑んで、という環境にあれば、瞬時に打ち解け合って意見交換も闊達になる、なに、その人がオトナであれば全然大丈夫。泥酔する人なんかいない。

と、ここまで読んで、「あれ?おマイさん、そういうの、確か前に…」と気がついた人もいるだろうけれども、そう、実はこういうスタイルでの勉強会を、ぼくは本当にやってた。

やってた、というのは、これまで78回ほど開催してきたのだが、諸般の事情(主に、身体がひとつしかない、という理由)で、昨年は1回しかやっていない。

とかツラツラ考えてたら、このブログを書いてるMediumを開発したエヴァン・ウィリアムズの記事が紹介されてて、お、と目を引いたのは

「立ち上げのときに実現したかったヴィジョンは、人がひとりで考えるアイデアよりも、人が集まったときのほうが良いアイデアを思いつくことができる、という考えが軸になっている。アイデアは交換したほうが、社会全体がより良い場所になる」

という一節。まさに、これを言いたいために、ここまでくどくど書いてきたわけです。

(実はこのブログ、パラグラフごとに右側に「+」があって、そこをクリックすると、そのパラグラフに対してだけコメントが書けます。そういう仕組みも、どこかディスカッションを思い起こさせると、勝手に解釈してるんですが)

コワーキングは(と、突然そっちに行くが)、そもそも、そういうことができる場所だ。さまざまな人が関わりあうことで、アイデアやヴィジョンを交換、共有し、仕事にせよ何にせよ、また違う、新しい価値を創造をする現場だ。

そこで行われるセミナーも、勉強会も、ディスカッション形式でこそ、実のあるものになると、今更ながらに思う。言い換えれば、(去年もその前もずっと言ってたけれども)コワーキングを「会場」にはしたくない、「現場」として使いたい。

というわけで、件の勉強会、ネマ研は、これまでと少しばかりその主題を変えつつ、今年、ぼちぼちと、やっていこうと思った年明けでした。よかったら、あなたの「あれが知りたい」をお知らせください。

※トップの画像は無料素材を使わせていただきました。