東京で1番好きとも言っても過言ではないRAT HOLE GALLERYのガブリエル・オロスコ「目に見える労働」展。
ギャラリーに入ってまず、東京都現美でやっていた「ガブリエル・オロスコ展 —内なる複数のサイクル」展を見逃したことを後悔した。それくらいオロスコに興味がひかれる展示だった。
作品から感じたのは、パズルのピースがカチッカチッとはまっていくときの快感。継手を取り上げており、目の前にある切り出された木がぴったりと合わさる様を連想する。また、継手独特の幾何学的な木の切り出し方が視覚的にも気持ちいい。
碁石の並んだ碁盤は、一定の(恣意的な)ルールに従ってものが配置されていく様を連想させた。この展示自体も、それだけでは何の変哲もない木や碁石・碁盤、ミニカーや仏像が独特のルールに従ってレイアウトされている。数日したら、独自のルールに従ってこれらのものの配置が変わっていたらおもしろいよなぁと妄想した。それはつまり、どこか「進行中」に見えるということだ。
また、白と黒の円(碁石)、グリッド(碁盤)、そして立方体(碁盤)という幾何学的な要素が木の切り出し方同様に気持ちいい。
気になったのでガブリエル・オロスコをちょっとだけ調べてみると、彼はメキシコ出身らしい。継手に仏像にミニカーのどこがメキシコっぽいのだろう。この展示からは「メキシコっぽさ」は微塵も感じられなかった。
それはよいことだと感じる。メキシコ人だからといってメキシコっぽい作品を作る必要はないし、仮にメキシコっぽい作品を作ったとしてもその点を評価することはできないと考えている。逆に、キューバ出身のフェリックス・ゴンザレス=トレスの作品から私はキューバっぽさを感じないが、ゴンザレス=トレスの作品は大好きで高く評価している。つまり、アーティストの国籍と作品の評価には関係がない。
ガブリエル・オロスコは、ニコラ・ブリオーの『関係性の美学』でも取り上げられていた。ブリオーがオロスコを取り上げた理由のひとつは、彼の「無国籍性」によるのだろう。あるいはもっと言ってしまえば、(私が今勝手に作った造語だが)「旅人性」。そういえば、『関係性の美学』で取り上げられていたのは《crazy tourist》だ。「あなたはどこから来たのか」という問いよりも、「あなたはどこを旅してきて、どこへ向かっているのか」という問いのほうがオロスコには合うと思う。