私たちは誰もが「学び」というものを、とても大事なことだと思っている。

しかし、何が「学び」だと思っているか。ということになると、一人ひとりがそれぞれ違う考えをもっている。それでも多くの人がまず思い浮かべるのは、学校の学びではないでしょうか?

学校で私たちは様々なことを学ぶ。そのとき「学ぶ」を「教わったことを覚える」と置き換えて考えていないでしょうか?

人は誰もが、「自分で学ぶ力」を持っている。

生涯学習という言葉を耳にする機会が増えました。これから「超」のつく高齢化社会に向かっていく日本において、私自身も目の前の切実で現実的な課題であると思っています。また、子供の教育に関しても無数の長時間の議論が行われて続けています。多かれ少なかれ人々は日々何かを学び続けているわけですが、以外にもその方法論には無頓着なことも多いのではないでしょうか?

そして、何か社会的な問題を解決するときにも対症療法もすでに限界が来ていて、根本的な人々の認識、行動に委ねられている気もします。それは、誰にでも出来る探求であると感じています。

「学び」とはあくなき探求のプロセスです。単なる知識の習得や積み重ねでなく、すでにある知識からまったく新しい知識を生み出す。その発見と創造こそ本質だと思います。それが「生きた知識」なのではないでしょうか?

「生きた知識」は新たな知識を生む

「生きた知識」は目の前の問題を解決するのに使うことができるだけではない。新たな知識を想像するために使うことができる。新たな知識はゼロからは生まれない。すでに知っている知識を様々に組み合わせることで生まれる。

「良い学び」を実現するためには、まず一人ひとりが自分は何を目的にして学びたいのかを考え、その目的のためにもっとも良い方法は何かを考え、それを実践しつづける「学びの探求人」になるべきです。

「学びの探求人」は、今はできなくても、自分で目指そうとするパフォーマンス、あるいは自分が得たいと思っている知識の姿を想像することができる。人は、想像力といま持っている知識とを組み合わせることによって、無限に新しい知識を作っていくことができる。ただペタペタ貼り付けるように覚えただけの知識は、使うことができない。使えないから、他の知識と組み合わせて新しい知識を生むこともできないのである。

ずっと学び続ける探求人を育てるために何をするべきか?

学校は「知識を覚える場」ではなく、知識を使う練習をし、探求する場となるべきだ。知識を使う練習とは、持っている知識を様々な分野でどんどん使い、それによって、新しい知識を自分で発見し、得ていくということである。

人と一緒に、人を頼らず

最近は実際の教育現場でも、生徒がおとなしく机に座って先生の話を聞くこれまでの授業スタイルから、グループでいっしょに作業したり、ディスカッションしたりするスタイルに変わりつつある。自分の考えを他の人に話すことは、考えを明確にし、整理するのに役立つ。自分で分かったつもりでいたことでも、人に説明しようとするとうまくできないことがある。すると、自分で何が理解できていないのかがわかるのである。

日本のラグビー界に奇跡をもたらしたと言われる監督エディ・ジョーンズさんのインタビュー記事(2016年2月3日付朝日新聞)

「私たち人間は、楽な方に進みがちです。変化することは、いつだって難しいもの。だから、日々の生き方、考え方から変えていけたらと思っています。ほんの3〜5%の小さな意識の変化、それが、大きな違いを生むのです。」

究極の学習

究極の学習というものは「自分をきちんと客観的に知る」(メタ認知)と「相手の気持ち、考え方、感情を知る」(思いやり)であると思っています。どちらも言葉にするのは簡単ですが、実際に行うのは至難の技です。それでも、自分も周囲も快適に暮らしていく上では、日々磨いていく必要があるとも思います。

#「自分をきちんと客観的に知る」(メタ認知)

心理学モデル「ジョハリの窓」とは?

※職場でも時々グループワーク形式でこれに基づいたワークをやりますが、結構盛り上がりますよ。

「ジョハリの窓」とは、1955年にアメリカ・サンフランシスコ州立大学のジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリー・インガム (Harry Ingham) という2人の心理学者が発表した、グラフモデルのことで、そのグラフは4つの窓のような構成からなっていることから、2人の名前を組み合わせた「Johari Window」と、呼ばれるようになりました。

自分が知る自分、自分が知っていて他人が知らない自分、他人も自分も知る自分、他人だけしか知らない自分に分類される内容を気づき、理解することにより、自己成長につながり、他人と円滑にコミュニケーションを取れる、ということを目的としています。

これは、客観的に見た自分も、主観的に見た自分も知ることや、比べることが出来るため、とても効果的に自分のことや、さらに良いコミュニケーションの取り方を身に付けることができます。

開放、盲点、秘密、未知の窓

1.「開放の窓」・・・公開された自己(open self)

2.「盲点の窓」・・・自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己(blind self) 
3.「秘密の窓」・・・隠された自己(hidden self)
4.「未知の窓」・・・誰からもまだ知られていない自己(unknown self)

本当の自分を知る(自己分析)

「ジョハリの窓」では、「開放の窓」と、「盲点の窓」によって、効果的な自己分析が可能になります。「開放の窓」は、自分も他人もわかっている自己なので、それを認識すると自分らしく他人とコミュニケーションが取れていると考えることが出来ます。

「盲点の窓」は、他人にはわかっているけど自分が知らない自己なので、長所はそのまま伸ばすように努め、短所は、フィードバックとして受け止め、アドバイスを聞くというのは、難しくありません。

「開放の窓」、「盲点の窓」を認識することで、自分の長所や短所だけでなく、コミュニケーションの取り方などの自己分析が可能となります。

開放の窓を広げて自己を成長させる

「秘密の窓」は、他人に隠している部分です。この「秘密の窓」が大きい場合は、本当の自分を押し殺して生活していると考えられます。

この「秘密の窓」は、狭めることで「開放の窓」が大きくなり、より自分らしく、ありのままに円滑なコミュニケーションが取れるようになるのです。それにより、コミュニケーション能力は上がり、「開放の窓」の仲間入りを果たした長所は伸ばせ、短所は改善でき、自己成長につながるといえます。

#「相手の気持ち、考え方、感情を知る」(思いやり)

「バイスティックの7原則」

私たち社会福祉士・ケアマネジャーの仕事は、相談援助職とか対人援助職と言われています。こうした対人援助にかかわる援助者の行動規範として有名なものに「バイスティックの7原則」と呼ばれる定義があります。アメリカの社会福祉学者のバイスティック氏が定義した相談援助技術の基本です。

日常生活の中で、悩んだり、迷ったり、焦ったり、怒ったり、感動したりと、いろいろな感情に心が揺さぶられる事があります。いろいろな感情が心の中に 錯綜(さくそう)して、収拾が付かなくなることがあります。

そんなときは、一旦立ち止まって、振り返りながら、自分の仕事の足跡を検証してみるようにしています(内省=自分の考えや行動などを深くかえりみる事)。これは悪い状況に陥った時だけでなく、結果が良い時も行うようにしています。そのときに「バイスティックの7原則」が役立ちます。この原則に沿うことによって、反省や、気付きが得られ、自分自身を戒めたり、逆に励ましてサポートしたりする事の必要性を認識することができます。

ここでは対象者をクライエント、援助者をワーカーとしています。

1. 個別化の原則

クライエントの抱える困難や問題は、どれだけ似たようなものであっても、人それぞれの問題であり「同じ問題は存在しない」とする考え方。この原則において、クライエントのラベリング(人格や環境の決めつけ)やカテゴライズ(同様の問題をまとめて分類してしまい、同様の解決手法を執ろうとする事)は厳禁となる。

自己点検:外面的に同じような状況に見えても、人それぞれ育ってきた環境が違い、価値観も違う。今目の前にいる人は世界に一人しかいないということを肝に銘じておかなければならない。援助がパターン化していないか。偏見や先入観にとらわれていないか。自分のペースで話を進めていないか。「忙しそうですね」と言われていないか。

2. 意図的な感情表現の原則

クライエントの感情表現の自由を認める考え方。特に抑圧されやすい否定的な感情や独善的な感情などを表出させることでクライエント自身の心の 枷(かせ)を取り払い、逆にクライエント自身が自らを取り巻く外的・内心的状況を俯瞰しやすくする事が目的。またワーカーもクライエントに対しそれが出来るように、自らの感情表現を工夫する必要がある。

自己点検:話しやすい雰囲気を意識しているか。座る位置はそこで良いのか。開かれた質問と閉じられた質問を意識しているか。リラックスできているか。同じ流れの中に入れているか。

3. 統制された情緒関与の原則

ワーカー自身がクライエント自身の感情に呑み込まれないようにする考え方。クライエントを正確にかつ問題無くケース解決に導くため「ワーカー自身がクライエントの心を理解し、自らの感情を統制して接していく事」を要求する考え方。

自己点検:自分の感情を自覚できているか。今抱いている感情は誰の感情なのか。共感の及ぼす過度な感情移入をしていないか。目的を意識しながら反応できているか。時期は適切か。急ぎすぎていないか。安易な情緒的関与をしていないか。平常心は保てているか。

4. 受容の原則

クライエントの考えは、そのクライエントの人生経験や必死の思考から来るものであり、クライエント自身の『個性』であるため「決して頭から否定せず、どうしてそういう考え方になるかを理解する」という考え方。この原則によってワーカーによるクライエントへの直接的命令や行動感情の否定が禁じられる。

自己点検:クライエントの人となりを吟味しているか。今起きている現実をありのまま受け止められているか。ギアはニュートラルに入っているか。ハンドルにあそびはあるか。

5. 非審判的態度の原則

クライエントの行動や思考に対して「ワーカーは善悪を判じない」とする考え方。あくまでもワーカーは補佐であり、現実にはクライエント自身が自らのケースを解決せねばならないため、その善悪の判断もクライエント自身が行うのが理想とされる。また人間は基本的に当初において自らを否定するものは信用しないため受容の観点からも、これが要求される。

自己点検:違う角度からもみるようにしているか。多面的に捉えているか。色目めがねをかけていないか。木も森もみえているか。常識という枠にとらわれていないか。

6. 自己決定の原則

「あくまでも自らの行動を決定するのはクライエント自身である」とする考え方。問題に対する解決の主体はクライエントであり、この事によってクライエントの成長と今後起こりうる同様のケースにおけるクライエント一人での解決を目指す。この原則によって、ワーカーによるクライエントへの命令的指示が否定される。

自己点検:今目の前にいる人が本来持っている生きる力や強さはどのくらいあるのか。本人の意思をしっかり確認しているか。実際発した言葉は本心なのか。緊急性はあるのか。周りの人の援助は期待できるか。援助が行き過ぎていないか。働きかけによって解決できる力が発揮できる可能性があるか。

7. 秘密保持の原則

クライエントの個人的情報・プライバシーは絶対に他方にもらしてはならないとする考え方。いわゆる「個人情報保護」の原則。他方に漏れた情報が使われ方によってクライエントに害を成す可能性があるため。

自己点検:秘密保持を意識しているか。個人情報の使用にあたってクライエントに不安をあたえていないか。個人情報の管理はしっかりできているか。

以上が「バイスティックの7原則」の説明です。

7つの原則に分かれていますが、それぞれが深く繋がり関係しています。
自己点検として自分の中の感覚的な部分も書かせていただきました。

F.Pバイスティック著 尾崎 新・福田俊子・原田和幸訳「ケースワークの原則」誠信書房 参考
ウィキペディア「ケースワーク」の項参照

この二つは、私の仕事に当てはめて行動の規範としています。

そんな、究極の学習があれば世界が変わると思っていました。

そんな、私が出会ったのが「といてら」です。

もう私、還暦前です。大体の知人は「そんなに無理しなくても、無難に過ごせばそれでいい!!」って言います。それでも私にはどうしてもそうしたく無い理由があります。

今から15年前、2歳上の姉が45歳の時に急死しました。自己免疫不全の病気で中学生の娘ふたりを残して逝きました。定期検診の病院の待合室での急変だったのですが、当時私は神経内科の病院のソーシャルワーカーをしていて、身近にその疾患の専門医とも話す機会をもつことができました。でも、私は姉のために何もできませんでした。その前の週末姉と会って「少し普段より体調が優れないのかな?」と感じていたのに。その時の無力感は今でも消すことは出来ません。

去年の暮れに9歳違いの兄から姉と同じ自己免疫不全の難病の診断を受けたと相談されました。65歳まで一生懸命会社の仕事を勤め上げた矢先のことです。これからふたり兄弟で旅行や、実家の畑で野菜やハウス栽培のブドウ作りに夢をかけていました。今は自分に何ができるか分からないですが、これからも支え続けていきたいとおもっています。

主に高齢者福祉の現場にいるので、普通の人より多く様々なかたちで「避けて通れない別れ」を経験します。皆さんは身近なその人との別れの時に、その人のいつの時に想いを馳せますか?ほとんどの人はせいぜいその10年前位のイメージでしか認識していないと思います。

しかし、年齢を重ねても疾患や障害をもっていても、いつ迄も身体的にも精神的にも充実して自分も周囲も快適に暮らしている人は存在自体が輝いています。そんな自律した素晴らしい暮らしに皆んな憧れをいだくのではないでしょうか?そんな笑顔溢れる暮らしには「生きた知識」と「良い学び」があると信じています。そのヒントが「といてら」にはあります。

私は、人は何歳になっても、どのような立場の人でも「やりたい」「成し遂げたい」と思ったことは、実現すると信じています。才能は、一部の選ばれし人にだけあるものではなく、すべての人に備わっていて、これまでに諦めた何かがあるのであれば、それはただ単に「方法が悪かった」「力を発揮出来る環境にいなかった」だけです。「といてら」に教師はいません。同じ立場で「未知の自分」と「援助者」としてすべての人の学ぶ力=才能を引き出す教育 、最新の脳科学と学習理論に基づいた「学び」それが「といてら」です。

何か諦めたこと、実現できなかったことがあるのであれば、ぜひ、「といてら」に来てください。「といてら」でお待ちしています。

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