日本人が海外で働くということ

Keiichiro Kay Yano
7 min readFeb 13, 2018

昨今日本の国際競争力の低下や、市場の縮小等によって”日本はそろそろまずい、海外にでなければ”といった人たちも少なからずいて、たまに相談を受けることもあるので、現時点でこれについて考えていることをまとめてみる。

一言に海外といっても、中国、東南アジア、北米、南米、欧州、アフリカ、中東と状況がそれぞれ違ってお国柄や場合によっては地方柄もあるので、とてもとてもばっくりした意見になることをご了承いただきたい。

また、私の経験以外に周りでいるひとの体験談も加味している。私の住んでいるのは欧州地域だが、その他の地域に住んでいる方の体感値もざっくり含む。

またここで言う海外で働くは、企業の都合で駐在するパターンではなく、自ら海外就職や起業やフリーランス等で移動することを前提とさせていただく。

結論からいうと、日本人が海外で”働くメリットは”無い”。メリット・デメリットで考えがちだがこれがそもそも間違っている。

もっというと国の事情というより、すでに世界のマーケットが”ローカル”と”グローバル”の主に2つに2分されているということ。

海外での仕事をすると考える時にこの”国”という時代遅れなしくみが思わぬ精神的、仕組み的ブロッカーになったりするのだ。

国単位で考えるから、文化が会う合わないとか、言語能力がとか、国民性がとかそういう働くという上での”不毛”な話になってしまう。

逆にいえば、日本人で、ベルリンにいてもヨハネスブルグにいても、シンガポールにいても、サンパウロにいてもハッピーに働けるひとと、地獄を味わうひとと両方がいるだろう。

文化が合うとか、言語がとか、そういうものの相性で考えるのは、自ら”ローカル社会”に入っていく選択肢を意味する。ローカルというのは現地の人と同じ言語能力、コンテクスト把握能力、思考回路を身に着けていないと話にならないということだ。

たとえば、シンガポール育ちのTOEFL IBT 117点 TOEIC 990点のINSEAD出身の人がアラバマ州の田舎のローカル企業なんかはいったらたぶん地獄を経験するとおもう。英語が違うとか、生意気だとか、アジアンだとか、かつローカル思考フレームワークと合わせるのにへとへとになりすぐに辞めるのがおちだろう。(そもそもこんなことするひといないとおもうが)

ここで間違ってはいけないのは、だったら5年〜10年かけて現地人になろうと考える事。例えばうちの娘は5歳からドイツ語環境にて8歳の時点でかなりネイティブに近いドイツ語と思考回路をみにつけているので、あと数年いればベルリン人と化するだろう。こういうパターンはローカルにまだ入っていく余地がある。(娘が自分で選べる年齢になれば、住んでる地域などこだわらずどんどん羽ばたいていってほしい)

25歳を超えてローカルに入っていくのは無理だ。大学留学〜くらいでぎりぎりだろう。そして、ローカルに入っていくというのは誤解を恐れずにいえばビジネス的観点からいえば”不毛”だ。

そしてこれは何も日本人に限った話ではまったくない。世界の主要都市をみればわかるとおり、ロシア系はロシア系、中国系は中国系とコミュニティーを形成しているをみればあたりまえのことだ。

ローカルに入っていくというのは、自ら立場の弱いレッドオーシャンに身を沈めていくということだ。

どれだけ語学や文化理解に投資しても現地人に競争原理上かなわないので回収率は0だ。どれだけその人の能力が高くても、だ。そしてあとで指摘するがこれはまったく、弱みではない。

例えばローカル市場を相手にするビジネスに外国人を採用するメリットはない。厄介なのは日本とドイツは政府がわりかしこちらの方向性に外国人を配置しようとして、ローカル企業の外国人採用を推したりして失敗しているということ。国際化と称してこれは、愚策だ。

僕が最高に気持ち悪いと思うのはドイツで流行っている”インテグレーション”という言葉だ。これはかわいそうな外国人をドイツ人化してあげましょう(でも美味しいところは渡さないよ)という趣旨である。個人的な意見だが時代錯誤はなはだしい。(もちろんすべてに当てはまるのではなく、特にローカル企業においてこの傾向が強い)

変に思想的な触れ方はしたくないのだが、いわゆる”Nation State"の時代ではない。

時代錯誤感のあるドイツでも都市部なら外国籍人口は20%前後になり、ジェネレーションをまたいだ移民や非白人の人口も増える。当然だがドイツ含む殆どの先進国では〜〜〜人で区別するのはもはやセンシティブなトピックだ。日本ですらたとえば東京では外国籍や非東アジア系の日本人は増えている。

一方でグローバル企業にとってロケーションはただの分配だ。

グローバル企業とは現代においては何も巨大企業にかぎらず、10人以下のグローバル企業だってありえる。場合によってはひとりでもそうだ。

現代のコミュニケーションツールが発達した企業にとって顧客はどこにいてもあまり困らない。だからすごく小さなアーリーステージの会社でも回収しやすいマーケットから狙っていくということが成り立つ。例えばイスラエルの企業がそうだ。多くのイスラエル企業の主要マーケットは本国でなく、アメリカだ。

マーケットはローカルと必ずしも結びつかないのである。このアタリマエのことが日本人がいざ海外で仕事をすると忘れてしまう。その国に来たのだからその国の仕事をしないといけないようなバイアスにかかってしまう。これは、わりかしよく見るパターンだ。

じゃあなんで日本でない国に移動する必要があるのか?

これに対する答えは僕はユダヤ人や華僑を参考にしている。ユダヤ人や華僑は究極のバーチャル国家だ。エストニアがEレジデンシー政策を初めて久しいが、これから国は土地や資源ではなく、国力=”コミュニティーの質の高さ”にかなりの確率でなっていくと思う。つまり日本国外に移動する必要がある、ない、ではなく、世界の地表の数%を占める土地”だけ”に居る必要がない。

これからエストニアやスウェーデン等で起こっているように、ブロックチェーン等で個人認証にAuthorityが必要なくなっていくと、ますます強い国=ユダヤや華僑モデルと変わっていく事が予想できる。特に人種と繋がりの薄いユダヤコミュニティーは最もこのモデルに近いと思う。

もちろん、日本を捨ててなんて考えているひとは今時いないとおもう。日本も日本人にとってはローカル思考回路が理解できる有力なポートフォリオとして考えるべきだ。僕の考えでは海外に移動して仕事するというのはただの”分散投資”にすぎない。そして国なんかにとらわれず仕事してるひとの多くはそう考えていると思う。

いまどき一つの国なんかに人生預けるのはリスキーという、それだけだ。

ローカルに勝てないのはローカルと競うのではなく、ローカルにできないことにフォーカスすればいい。実は時代遅れの国という仕組みもここは一致している。

そしてローカルと対極にあるグローバル社会では、ローカルに求めるのは営業やサポート等のごく一部の機能で概ねローカルをちょっと理解できるけど、企業理念やコミュニティーの理念に共感した集団がコアになっている。ここでの仕事は概ね共通のフレームワークと共通の言語でおこなわれており、むしろローカル人にとっては入ろうと思っても高いハードルだ。

まとめると海外といっても、ローカルとグローバルの社会が存在し、ローカルで勝負をするとうまいことローカルの戦略にのせられてしまうので、グローバルに国にとらわれず市場のポテンシャルとコミュニケーションコストの低さでビジネスをみること、海外にすむというのはメリット・デメリットではかるものでなく”分散投資”だということがこれまでの僕の気づきだ。

これから海外で移動して仕事してみたいという人に少しでも参考になれば幸いです。

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Keiichiro Kay Yano

Carbontribeで森のデジタルツインを創ってトークンに。攻めのESGを狙います。元Google IE MBAネクストシリコンバレー共著者(日経BP)https://linktr.ee/carbontribe