自動走行についての内閣府のワークショップに参加して感じた8つの違和感

Kazuya Tanaka
11 min readNov 2, 2016

--

昨日、内閣府の大型研究開発プロジェクトであるSIP (戦略的イノベーション創造プログラム) の一つ、『自動走行システム』の話題に関してのワークショップに参加した。そこで感じた今回の議論の内容と少し個人的な違和感を書き留めておくことにする。
開催概要: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161102-00000000-rps-sci
(最近流行りのタイトルを使ってみました!笑 積極的にSNSなどで拡散したいとのことのようなので!笑)

1. 今回の市民ダイアログ — 自動走行に興味はあっても運転しない若者たち

今回のワークショップにはSIP側として自動車会社、アカデミア、自動車ジャーナリスト、市民という名目で都内から東京大学、慶應義塾大学の学生などが20人ほどが希望して参加していた。ただし、そのうち自動車を日常的に運転しているのは1、2名であった。それが原因かはわからないが、全体的な説明の直後はそもそも意見があまり出なかった(もちろん日本人特有のシャイさもあろうが)。自動走行のワークショップに参加したいと興味を持つ学生が集まったわけだが、興味はあってもそもそも自動車が身近ではない層が相当の数いるように思えた。おそらく、SIPのプログラム側の方々と参加した学生の世代や価値観の差が、車に対するそもそもの興味や期待値との差として違和感に私には感じられたのだと思う。

2. IT業界が自動車業界に与える脅威

まず冒頭で自動走行の現状について、技術的な動向、社会実装、その中で完全時走行に向けて運転手の必要度合いを分けたレベル1, 2, 3, 4 の説明(よく使われる自動運転の発展レベルの定義 — 例えば http://diamond.jp/articles/-/98425 などを参考されたい)、及び、アメリカのIT企業のビジネスの早いスピード感を非常に意識している旨の説明があった。個人的な違和感としては、質問をする前からIT企業が脅威であることがひしひしと伝わる発表であったことである。ここまで日本の自動車業界の人が脅威に感じているのだ、と思うとソフトウェアの技術力差は推して知るべしなのであろうと思われる。

3. 車のニーズとは — ドライバーの必要有無は本質か?

自動運転に関する議論として、よく挙げられる論点に「ドライバーは必要か不要か」がある。今回もIT企業が促進する完全自動運転(レベル4)を意識してこのテーマが議論になった。日本の自動車メーカーは、完全自動運転よりも、「人と車の協調」つまりドライバーありの自動運転が必要であると考えており、その二項対立でIT系企業との差別化を図ろうとしているようにさえ見えた。しかし、議論を通じて見えてきたのは本質的な論点は顧客のニーズが「走る事を楽しみたいのか、早く安全に無駄な時間がなく移動したいのか」ではないのか、ということだった。例えば同じ車に乗るのでも、通勤時にメイクをしたい場合は自動運転が良いだろうし、旅行先で大自然を車窓の横目に走り回りたい場合はハンドルを握って運動したいのではないか。

すると、ドライバーが求める仕様はボタン一つでドライバーの必要有無が切り替わったり、時によってシェアカーや、レンタカーといった多様な選択肢が存在することに成るだろう。ドライバーが必要か不要かの二者択一でもないし、そのどちらかに向けてのみの研究開発を行うことに非常に違和感を感じた。

4. 自動車はスマートフォンのようにアップグレードしていくようになるか

自動運転の実現が近い将来、(少なくとも今の学生が生きている間ぐらいには) が来るとすると、今それに向けての過渡期が始まったのだと思う。過渡期をどう進んでいくか、言い換えればどのような過程を経て自動運転サービスを完成させるのかについて、自動車会社とIT会社のスタンスの差が明確になっていた。自動車会社は安全面と現行の状況を考える。一つの不具合が人命に絡む事故や大規模リコールに絡むという教訓を持つ自動車会社の開発プロセスは非常に慎重だ。一方、IT会社はいわゆるアジャイル開発、つまり、ある程度のβ版を作成してどんどんアップグレードしていくことで完成を目指す (IT的に言うとバグをfixしていく)、というアプローチである。スマートフォンやパソコンなどは、購入時よりもより優れたアップデートをインターネットで手に入れることに違和感がなくなってきているが、より一層の安全性が求められる自動車では今後どうなるかは非常に注目したい。

しかしこうやって開発手段の議論をしている間に、アメリカなどで、自動運転に関してもアジャイル型の普及が進むことで自動運転のデファクト・スタンダード(事実上の基準)が作られていき、それが支持されるようなことになるようにも非常に感じられ、これが起きれば日本の自動車産業には大きな痛手になるであろうと思う。

5. 自動走行 — 人工知能に必要なデータ: 世界『地図』争奪戦

少し技術の面に話が移ると、自動走行にはGPSやカメラなどが搭載されていても「地図」のデータが不可欠であると考えられている。地図データを用いることで自動走行をより安全にすることができ、かつ実現も簡単になるからだ。本日話にあったのは 3D地図 (ちょうど本日ニュースが連携で取り上げられていた — 『 3D地図ってどんな地図?トヨタとタクシー業界』) などの一般的なスマートフォンで使うような地図に加え、信号の位置や標識の位置、さらに、車線の幅や数などが必要となるとのことだ。これは今の Google Map などの人のための地図にはないので、これから作る必要があると考えられている。これに向けて、Googleをはじめとするアメリカ勢は独自開発をし、ヨーロッパは去年に地図会社を買収している。日本は今、一社での作成は難しいとし、皆で共同して作っていこうという事をSIP等で旗振りをしたいいう発言があった。

しかし個人的には、既にデータを持っている企業からすると共同をするインセンティブがあるかわからない、むしろイノベーションの教科書的に考えると、このデータこそが競争力の源泉のように感じる。つまり、データこそが会社の競争力を決め、他の、もしかすると車体の性能のようなものが、コモディティ化をすることで更なるコスト競争にさらされるように感じた。

6. イノベーションのジレンマの新しい事例か?

こうした中、シンガポールなどの海外での自動走行の事例が取り糺され、議論になったのが、日本が自動車業界の大企業がいるからこそ、自動走行が進まない、というイノベーションのジレンマ(クリステンセンの有名な経営理論)の教科書のようなことが起きているかもしれないことだ。つまり既存の儲かっているビジネスと新規ビジネスを比較してしまい、破壊的イノベーションに対応できないのではないかという恐れだ。

今、自動走行が出来ることはおそらく限定的で、例えば歩行者が周りにいない道路などを必要とするかもしれない。まだ、全用途に使えないことからプロジェクトにならないかもしれないのではないか。他の例で言うと、先に挙げたように移動に対するニーズが多様化することで、今までは万人向けの自動車で台数も多く売り上げていることから、例えば特定の — 認知症の方向けの自動車を研究開発を行う、などが、販売台数見込みが小さすぎることから新しい事ができていないのではないかと思える。

7. これからの日本の産業競争力とIT人材不足

自動車産業は今現在の日本の産業を牽引する大産業界であって、この問題は私たち日本にとっては、経済的な側面が非常に強いと言える。むしろほとんど車の乗らない世代、または乗っても単なる移動の手段としか見ない方々にとっては、使用者としての側面よりいかに日本の車が海外で売れるかの方が重要であろうと思う。日本では受け入れられない場合でも、その自動車を欲している地域などはあるようにも思える。

何より、これだけソフトウェアが重要とわかっているのなら、今なら Google の研究開発費に匹敵するだけの研究開発費を使える(ほぼ唯一の産業である?)自動車業界が、自動走行に関しては世界のどのニーズにも答えられるだけのソフトウェア的な開発を行うことはできるようにも思える。(ただし、人工知能界隈の人材不足 — と言うよりも大学などにおける教育体制は深刻であることから、研究開発目的での海外IT企業などの買収などが必須であるようには感じるが。ちなみに下記が総務省の発表している人材の課題についての図から引用したものである。)

データ分析の訓練を受けた大学卒業生の数(2008年 単位:千人)

(出典)McKinsey Global Institute「Big data: The next frontier for innovation, competition, and productivity」

データ分析の才能を有する人材の推移(単位:千人)

(出典)McKinsey Global Institute「Big data: The next frontier for innovation, competition, and productivity」

(本記事とタッチの差で先日運営したTEDxTokyoに登壇いただいたヤフーの安宅和人さんのトークが公開されました。データアナリストの人材不足について同じ図を使われています。 シン・ニホン | 安宅 和人 | TEDxTokyo )

8. 不確定な未来を想定した会議に慣れない日本

今回の自動走行に関してのみではないが、全体としてやはり官庁や大企業などの会議では、会議などを”市民”と行うなどの外見的な斬新さに注力(しそれをメディアを通じてアピール)する傍ら、議論の内容的には議論の前に方向性が決まっているようにも思う。(例えば、法律責任問題はロースクールの方に声をかけてみる等のような意見の強要に近いものがあった。ま、その内実は学部の名前が複雑になりすぎていて、ロースクール生はいなく学部で法学部の方しかいなかったのだが。)追いつけ追い越せではなくなった日本で、かつ、不確定要素がどんどん大きい社会になっている中で未来を議論するのであれば、様々なステークホルダーで答えのない課題について継続的に議論し、社会実装をすることで社会に問うていくことが必要に感じる。むしろそれができないのであれば、スピード感のあるこの時代の変化に取り残されるだろう。

こうした議論については今の学生などの若者はデザイン思考・システム思考などの教育プログラムなどのお陰で、少しは慣れてきている節も見受けられた。このような若者などがゼロベースの未来を考える機会は今後も必要と思うので、我々が動く必要があるように思う。(そもそもVR(仮想現実)とAmazon、在宅勤務のおかげで、個人個人は、ほとんど動かない未来がくるかもしれないし!自動車の使用者が商用目的ばかりになったら、走る楽しみとかあるんですかね。。。)

特に、今回のSIPは既に3年が経て、あと1年半ほどで終わることから、このような取り組みがSIP以後も続くかに関しては非常に危機感を覚える会であったように思う。2020年のオリンピックの後の世界が終わるわけではないと思うので、ポスト2020の今後の建設的な議論とその社会実装にできる限り貢献していきたいと思う。

(できる限り議論の内容に関しては、忠実に描いたつもりですが、何か指摘などございましたらご連絡いただけると幸いです。また、本記事は他に参加した学生にも事実確認のチェックもしていて、この場を借りて感謝の意を述べたいと思います。最後まで、お読みいただきありがとうございます!)

--

--