言葉のラベル

ビンや缶に貼られた「ラベル」。

無性に剥がしたくなることってありませんか?でも、無理にはがそうとしたら表面がシャッと破れて、白く透けた粘着部分だけが残った日にはもう…。

爪でカリカリカリカリ。

ラベルってのは貼るのは簡単でも、剥がすとなるととんでもなく厄介です。

… んで、何?

っていう話なんですが、今日は「言葉のラベル」についてのお話をしよーかなと。


言葉には、名前をつけたりや意志を伝達したりといった機能がありますが、もう1つ重要な役割として「ラベル」機能があります。

たとえば、僕なんかは家の中では「夫」や「父親」、実家に帰れば「息子」や「弟」、仕事では「編集者」や「マネージャー」など、いわゆる「肩書」や「役割」を表すラベルがペタペタ貼りついています。

このラベル機能は、人間関係において自分がどういう存在なのかを簡単に伝えられ、コミュニケーションを円滑にしてくれるすぐれものです。

誰もが無意識的に使っていると思います。

でも、貼るのは簡単でも剥がすのが厄介という「ラベル」の性質上、言葉のラベルも一度張り付くとなかなかはがせません。

その結果、ラベルによる関係性を前提としたコミュニケーションをとってしまいがちです。

仕事で言えば「上司」と「部下」というラベルが貼られて上下関係のようなものが生まれたり、お店で「お客さん」と「店員」というラベルが貼られて主従関係のようなものが生まれたり。

家庭のなかで「ママ」「パパ」「子供」というラベルが貼られると、お世話をする側・される側といった関係性で考えてしまうのもその一例ですね。

ラベルを剥がせば同じ一人の人間であるはずなのに、どうもそれを忘れて関係性ありきのコミュニケーションをとってしまいがちです。

お店で店員さんに対して「お客様は神様だ」といわんばかりの横暴な物言いをしている人を見かけると、「ベッタリとラベルを貼り付けているんだろうなぁ」と思ってしまうわけです。
(そもそも、「客」と「店員」との間に主従関係があるわけではないのですが…)

ラベルを前提にしたコミュニケーションは、それだけでバイアスがかかって、適切な判断の妨げになる可能性が高まります。

そんなふうにえらそうなこと言っている自分も、ついついラベルを前提にしたコミュニケーションを取ってしまいがちなので、グッと思いとどまってラベルを剥がす努力をします。

どうにか剥がしたつもりでも、白く透けた粘着部分だけが残ってしまうことはあるんですけど。

つねに「何かのラベルがついていないかな?」と考えてみるだけでも、フラットなコミュニケーションが取れるようになると感じています。


ちなみに、ビンや缶についたラベルをスルッと剥がしたい方は、無理に剥がそうとせず、ドライヤーで表面をまんべんなく熱してみてください。

びっくりするほどスルッと剥がせるようになりますよ。

言葉のラベルもそんなふうに簡単に剥がせるといいんですけど。

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