「もう一人の僕」

東京大学の教授で、米文学の翻訳家でもある柴田元幸先生のエッセー『それは私です』を読んでいる。

毎晩眠る前に、ベッドの中でほんの10分ちょっと、収録されている短いエッセーを2本ずつ。

中身はなるほど、「ポエム」と揶揄されそうではあるものの、そこはやはり長年文学に心血を注いでこられた先生だけに、ただのお遊びとも思わせないような濃い内容で、読んでいてワクワクしてくる。

くたびれた上着で万引きに間違われ続ける話し、サウナで熱くなって「ハアハアハア」という息が『テイク・ファイブ』(サックス奏者デイブ・ブルーベックの曲)みたいになる話し。まだ3分の1ほど読んだだけだが、どれも面白い。自分が考えたこと、自分の取った行動、思わぬハプニングなどを自嘲的に、ユーモラスに語るのは、Mediumを書くときにも参考になる。自分もこんな風なのが書けたらいいなあと思うのだ。

他のエッセー集にもあったのだが、先生は、自分とそっくりな「もう一人の僕」によく出くわす。突然バッタリと自分と背格好の似た男を見かけるのだ。顔もそっくり、取っている行動も同じ、どこからどう見ても自分自身がもう一人、街にいるのをハッと見つける。

何かの幻覚でも見ているのか、それとも客観的に自分自身を見ているという独特の表現なのか、そのあたりも曖昧なまま、突如としてもう一人、自分が現れるのだ。その「もう一人の僕」は街を歩いているときに道に立っていることもあれば、イギリスで旅をしている最中に、先生と同じようにバスに飛び乗ってきたりすることもある。

「一体彼は何なのか」と、先生はあれこれ思索した挙げ句、そのうちもう一人の自分は消えていなくなってしまうと言うのだから、読んでいるこっちはさっぱりわからない。一体何なのだろうか。

いつの日か、先生の編集している雑誌『MONKEY』のサイン会に行ってみたいと思っている。この文章を書いている僕は、ノッポで痩せているから、それとは正反対の体型の先生から見たら「もう一人の僕」に間違うこともないだろう。だから安心だ。いつか行けるといい。