会社に”詩人”は必要なのか

Kenji Naito
4 min readNov 8, 2017

会社の採用の文言作成や、会社の整備などを考えていた時に考えたことを

つらつらと書く。

作業と詩人

例えばあなたが、道のゴミ拾いをしているとして

「お前は道のゴミ拾いでもしていればいいんだ」

と言われるのか

「君のおかげで世界が救われている。こういう小さい一歩しか、世界を変えることができない。本当にありがとう!」

と言われるのか

行なっていることは変わらないのに、気持ちの持ち方は全く変わる。

例えばあなたが誰かに仕事をお願いすることになったとする。

私なら一瞬で終わらせることができると思っている作業があったとして、それを、あなたが経営者であれば社員に、上司、先輩であれば部下、後輩に教えるとする。

「これは私なら一瞬で終わらせることができるが、あなたはまだできなくて当たり前だ」

と超上から目線で誰もがわかりきったことを伝えるのか

「エジソンは”失敗なんてない、うまくいかないことがわかったという成功なんだよ”と言っているとおり、まずやってみてもらいたい。わからないところがあったらフォローするから、気軽に相談してほしい。今の段階でどんなことが気になっている?」

と伝えるか。言われる方の生産性なんかを考えると、嘘でも相手のために言葉を選んだ方が良いことはわかる。

ビジョンと詩人

企業のビジョンにも近いものがある。

「ひたすら自分たちのためだけにお金を稼いで自分たちのためだけに使います」

なんて思ったことをまっすぐに掲げると、なかなかイキった連中が集まってくる。

(それを狙っているならそれはそれで良いと思うが)

「わたしはこういうビジョンを掲げています。何故なら社会のこういう状態を課題だと考えています。それはわたしのこういう原体験体験があったからす」

なんていう自分の等身大の体験談と、見る人が見れば共感性の高い言葉を書くと

刺さる人には大いに刺さるだろう。

それは紛れもない言葉のちからであり、それはもはや詩だ。

監督と詩人

スポーツの世界では、監督がモチベーターかどうかがたまに話題にあがる。

私の好きなフットボールの世界でもそうだ。

アトレティコのシメオネ、リバプールのユルゲン・クロップ、

元マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソン、

現監督のモウリーニョ。

モチベーターは、勝利に対する情熱が誰よりも強いことが第一条件だ。

その情熱を、インテリジェンスに富んだ言葉に乗せて、仲間を鼓舞し、チームをひとつにする。

アレックス・ファーガソンは別格だが、フットボールの監督も寿命が短い。

1年以内で解任なんてのはザラにあるし、常勝軍団を率いていたとしても使っていた戦術が相手チームに対策されたり、そもそもチームがマンネリ化したり。

フットボールも会社も同じで、環境への変化より先に環境へ適用し、仲間とその未来へ向かうためにチームを鼓舞する。そこにはやはりことばであり、詩がある。

仕事と詩人

フットボールも仕事も、毎日がたたかいだ。もちろんじぶんとのたたかいだ。負け続けない限りは終わりはない。その繰り返し。

生活の大半の時間を仕事というものに費やすとしたら、少しでも、自分たちにとって価値のある時間を過ごしている、誰かの役に立っているという確証はほしい(少なくともわたしは)。

会社に詩人は必要なのか?

わたしたちが仕事と呼んでいるそれは、ある人が見たら単純作業なのかもしれないし、退屈な仕事なのかもしれない。

世界平和に貢献しているのかもしれないし、誰かを救っているのかもしれない。

淡々と、粛々と目の前のコトをこなすだけなら詩は必要ないのかもしれない。

けれどわたしは、仕事は楽しくありたいし、一緒にすごす仲間とも楽しくありたい。じぶんのおこなっていることは、少しでも世界の役に立っていてほしいと願う。

だからこそ、たいしたことではないことを詩にする詩人は、必要だと思うし、少しでもいいことばを発せられるように、気をつけていきたい。

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