目標と手段の隙間、夢と退屈な仕事の距離

Kenji Naito
3 min readNov 16, 2017

仕事が楽しかったのかどうか、
今ではもう振り返ることすらしなくなった。
私はただ、海中を揺らめくワカメになり、身をただまかせよう。

社会人の彼、彼女には夢があったのか。
少なくとも誰かの夢や目標、課題があって、誰かの仕事が生まれている。

経営者にもいくつかタイプはいるとは思うが、
サラリーマン経営者でなければ、モチベーションがある(あった)はず。

社員のモチベーションはどうか。
経営者のビジョンに共感して会社に入った、
自分の人生の課題感と会社のミッションが同じだったりと
人生をかけてもやるべきことに思えるものがある(あった)はず。

どこかのタイミングでその歯車はズレる。
与えられた作業、役割を演じること自体を目標として
関わっているモノ、コトのゴールは関係がなくなってしまう、
そういうタイミングだ。

夢と作業の距離

Aさん:社会貢献をしたい経営者

ミッションを唱える。

Bさん:数字を持っている営業

目下の数字をクリアしたい。
いいものや、本当に課題が解決されるかよりもまずは目先の数字をクリアすることが何よりも優先される。
顧客の声は絶対だ。CさんやDさんは数字のために存在する。
Bさんは数字をクリアするためには、泥水だろうと飲んでやる。

Cさん:数字を持っている営業

いいものをつくって顧客に価値を届けたい。
Bさんが適当なことをお客さんに言って辟易している。
また、Cさんは素早く価値を届けたいのに、Dさんが実現できるとは思えない
セキュリティ対策を言ってくる。今日リリースできるものが
来月になってもリリースできない。
Cさんは価値を顧客に届けたい。

Dさん:セキュリティ担当

安心感のあるものを提供したい。
そのために自分の知識や経験を活かしたい。
BさんやCさんの理想はわかるが、セキュリティリスクがあれば
何もかもが破綻する。その辺はAさんにはとても理解してもらっている。
Dさんはまずは安全がすべての根本に関わると考えている。

全体と一部と

人々は、「自分の役割になる」ので、
自分の行動が他の役割にどのように影響を及ぼすかが見えない。

とは学習する組織の弁だが、誰かが「自分がやる」と思わずに
「やらされている」と思った瞬間に手段がゴールになり、
面白味が味気ないものになる。

毎朝ゾンビのように通勤電車に飲み込まれていくように…

エンゲージメントとやりがい。やりたいことを知る

昨今社員のエンゲージメントをいかに上げるかという話題は多い。

環境や働き方を良くする。そうすることで、
優秀な人材を抱えることができるというロジックを良く見るようになった。
たいへんすばらしい時代だなと感じている。

その人が人生の時間を使って何をしたいのか、
それが仕事でできるのか、できないかどうか。

組織というものをやっていく上で、
そういうやりがいとか、その人のやりたいこと
みんなの見える場所に置いて、相互に意識できるようにしていきたい。

--

--