秋葉原の変遷

もう宝探しができなくなってしまった

KinoFumi
3 min readDec 21, 2016

今日は、上京して久々に秋葉原にやってきた。この街に初めて来たのは、高三の夏休み、それから四半世紀も経って随分と変わったものだ。

長崎の佐世保からNHK高校放送コンテストに参加すべく上京した時に初めてこの街にやってきた。初めての上京だったせいか見るもの全てが珍しくて、秋葉原でもキラキラして見えた。その時は、不安ないながらも何軒かのお店を回ってソニーのウォークマンを買い求めた。地元で購入するより3千円ほど安く購入できた記憶がある。その時はまだ、電気街としての街だった。

浪人〜大学生時代の秋葉原は、コンピューターの街だった。Macintoshの魅力にすっかりハマり、安くなった中古のMacintoshを探し回っては購入していた。一番秋葉原に通った時期でもある。怪しげなパーツ屋さんでバルク品のメモリーやハードディスクを購入したりした。あとはインターネットもまだ一般家庭に普及する以前だったので、PDS(Public Domain Software)いわゆるフリーソフトの入ったフロッピーディスクやCD-ROMを探し回ったものだ。その頃の秋葉原は、自分にとっては宝探しのできる街だった。

それから、専門学校の先生時代。学生を連れて秋葉原ツアーを何回か開催した。その頃から、ポツポツとオタク向けのお店が増えてきだしていたが、まだ、コンピューター中心の街だった。DTPに世の中が大きくシフトしようとしていた時期だったので、先輩デザイナーのためのMacintosh購入の付き添いとかもした。そういえばスティーブ・ジョブズのApple復帰のニュースも秋葉原におとづれている時に知った。

デザイン会社に就職。自分でも新品のMacを購入できるようになり、中古探しもパーツ探しもしなくなった。インターネットは随分家庭に普及して、Windows全盛期。丁度、初代のiMacが発表されて、Appleが息を吹き返し始めた頃。秋葉原は、コンピューターの街から、オタクの街へと様変わりしていった。同人誌のお店に始まりフィギアのお店、そしてメイド喫茶色々なオタク文化を支える街に。

そして、今日。再開発も済み、すっかり綺麗に整った街になってしまった。怪しいジャンク屋も姿を消し、中古品やバルク品やパーツ類も綺麗なお店で売っている。マニアやオタク向けの怪しげなお店も随分減って、街全体が綺麗になった。

さすがに四半世紀も経つと街もすっかり変わるものだ。わい雑でザワザワしていて、不思議なエネルギーの渦巻くちょっぴりアジアンな感じのする街だったのに、今ではすっかり普通の都会になってしまった。秋葉原らしさが無くなってかなり魅力がなくなった街のように思えてならない。

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KinoFumi

佐世保出身で、なぜか水戸で暮らしています。 興味があるのは、子育て、サービスデザイン 、編集、米・野菜作り、美味しい食物、フィジカル・コンピューティング といったところ。