DTPの忘れ去られた未来

KinoFumi
2 min readDec 6, 2016

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DTP(Desktop publishing)といえば、未来を感じさせる言葉だった。

情報発信をしたいコミュニティーが、自ら発想し、取材をし、文章を書き、写真も取り、レイアウトして、プリントアウトして配布する。──川崎紀弘

そんな、メディアを自分たちで「自由」に作るための夢の道具のはずだった。

日本に普及し始めたのは、1,990年頃。今から26年も昔。Mac一式で100万円を超え、A4サイズのモノクロレーザープリンターは120万円もした。とても個人で気軽に買えるしろものではなかった。

どこでどう間違ってしまったのか、DTPといえば効率化・省力化の道具になってしまった。ほんの10年ほどで、印刷業界を席巻。いろいろな仕事をデジタル化の名のもとに、吸収しまくって多くの職人が職を失い、業態を全く違うものにしてしまった。今流行のAIも、DTPが起こしたこと以上の変化をあらゆる仕事にもたらすのかもしれない。

スティーブ・ジョブズの言葉に「Bicycle for the Mind」という、大好きな言葉がある。コンピュータを知的自転車と例えたもの。コンピュータの役割は、自転車同様に人間の能力を手軽に伸ばすことにあるのはないか。あくまでも人間の能力の補助であって、自動車や飛行機みたいに拡張して走ったり飛んだりしてはいけない。

DTPももともとあった、メディアを自由に気軽に作れる事をもっと全面に出しても良いと思うし、そうゆう切り口で個人にアプローチしていくべきだと思う。「Word講座」や「Illustlator講座」ではなく「フリーペーパーを創ろう講座」が必要なのだ。

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KinoFumi

佐世保出身で、なぜか水戸で暮らしています。 興味があるのは、子育て、サービスデザイン 、編集、米・野菜作り、美味しい食物、フィジカル・コンピューティング といったところ。