僕はあの日歩いていた爺さんだった

By Michael Hill https://flic.kr/p/dANeMd
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昨日、病院へは自分の足で行った。それが良くなかったのかもしれないけれど、ともかく歩いて病院に行ったのだ。

普段はかなりの健脚でスタスタ歩いていくのだが、さすがに昨日は腰が痛くて、普段の1/3くらいの速度でカタツムリのように、ゆっくりゆっくり歩いていた。

もしこの状態で大地震でも来たら、とてもじゃないが逃げられないだろうなという移動能力だ。

徒歩の衝撃で時折くる腰の痛みに顔が歪む。衝撃を和らげるために、歩幅を小さく、そろりそろりと歩いていると、脇を物凄いスピードで中学生か高校生が自転車で通り過ぎた。

「危ないなあ」

思わず声に出そうになった。その後も同じような学生たちが自転車でバンバン追い抜いていく。ゆっくり歩いている僕を通り過ぎざま一瞥してる学生もいた。

その時、ふと、このシーンはどこかで見たことがあることに気がついた。


僕が住んでる松山市の石井エリアから、松山市駅に向かう途中に立花というエリアを通過しないといけない。この辺りは古くからの通りで道路幅が狭く、いつも車が渋滞することで有名だ。車道は一車線で歩道も申し訳程度で、歩行者、自転車、自動車が皆気をつけながら進んでいる。

僕も自転車で町へ出る時にはこのあたりを通過するのだが、時たまかなり歩道をゆっくり歩いていたり、車道にはみ出して ふらふらと自転車に乗っているご年配の方を見かける。

さすがに「クソジジイ」までは思っことはないが、正直言って「危ないなぁ。ちょっと邪魔だなぁ。」くらいに思ったことがあることは告白しよう。そんな彼らを何度も僕は自転車で追い抜いてきた。


ヨボヨボ歩いている僕は、立花を歩いていた爺さんなんだ。そして、脇を猛スピードで駆け抜けていく学生も自分なのだ。

弱者のことは、弱者側の当事者にならないとわからない。『わかっているつもり』と『わかった』の間には大きな開きがある。

なぜあんなに歩くのがゆっくりなのか、なぜ少し厳しい表情をしているのか、そして自分にはわからない聴力の低下した状態。そんな「思うように体が動かない状態」でも「自分の足で歩いて移動する」ことを選択をすることの素晴らしさよ。

人は歩かないとどんどん体が衰える。逆に歩けばどんどん活力が満ちてくる生き物なのだ。


ビスマルクの有名な言葉に

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

というものがある。

僕は愚者だ。この経験から何を学ぶのか。自分の愚者度が問われる。

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