6月20日は「世界難民の日」

ミャンマー西部ラカイン州ミャウー郊外ロヒンギャムスリムの村にて。2017年3月。

この日は近くのラカイン仏教徒の村からラカイン族の男(写真左)が友人宅に遊びに来ていた。日々のニュースを通して彼らは絶対的に対立してると思っていたので地味に衝撃を受けた。ミャウーのように比較的両族の関係が穏やかなエリアもある。

後で知ったのだが彼は群馬県館林で難民として暮らすロヒンギャの友人の同級生だそう。現在ロヒンギャは国籍や市民権を奪われ学校へ行く事も原則許されていないが(この村では大人たちが手作りの学校でマレーシアやトルコ等の支援を受け子供たちに勉強を教えている。シットウェの避難民キャンプ内で比較的豊かなエリアは小学校教育までは受けられる)かつて彼らに対しての扱いが穏やかな時代は彼らも同じ学校に通っていた。仏教徒風の名前を持たされてたそうだが。

彼らは西部訛りのビルマ語で会話する。ロヒンギャ同士での会話は独自のロヒンギャ語だが、それは隣国バングラデシュのベンガル語ではない。州北部マウンドーで軍の攻撃からバングラデシュに逃れるロヒンギャたちをチッタゴンに住むベンガル人は「ラカインから来たミャンマー人のムスリム」と認識しており(よって彼らは無国籍状態)、お互い言葉のコミュニケーションにも苦労していると某難民支援団体の帰国報告会で聞いた。

そして近年政府はロヒンギャに対しビルマ語を学べる機会を与えていないのだから、多くの幼い子供たちはビルマ語を使いこなせないのは当たり前だ。しかしそれはチン族やパダウン族など他の少数民族にも言えること。レイトゥーチン族の村でも子供たちにビルマ族と同等の教育を受けさせられない事を悩んでいた。

ロヒンギャにも様々な境遇の人が居る。今の国境が敷かれる前、15世紀に繁栄を極めたアラカン王国時代から住んでるムスリムも居るらしいし、イギリス統治時代にバングラデシュから不本意に連れて来られた人もいる。話は逸れるがチン州から日本軍の攻撃を避けるのにラカインに逃げて来て自分の事を本気で恐がっていたチン族のおばあちゃんにも会った。悲しかった。さらに近年では世界各国でロヒンギャと名乗れば支援を受けられると味をしめ、自らをロヒンギャと偽る「偽ロヒンギャ」も現れる始末。

ラカイン州に住むイスラム教徒を全て「外国人」と決めつけ隔離するのではなく、ちゃんと「公平な調査」と「心ある対応」をして欲しい。彼らにだって幸せに人間らしく生きる権利がある。

ラカイン州はミャンマーの他州とアラカン山脈で隔てられているので特別に風通しが悪い印象を持っている。豊かな自然や遺跡も多い地域だし観光的にももっと注目されてもいいと思う。現状ミャンマー国内では「ロヒンギャ」と云うフレーズ自体がタブーであるが、実際ラカイン州を訪れたり、ましてやロヒンギャと交流した事があるミャンマーの人たちは極めて少ないのではないだろうか?「情報」って恐い。

6月20日は「世界難民の日」です、とまとめたかったのだが、熱く語っていると翌日になってしまった。おやすみなさい。

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