会社のビジョンはなぜ大切なのか

Koichiro Honda
7 min readOct 7, 2016

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新卒で入っていまいちピンとこないものの代表格が、会社のビジョンというやつだと思う。

日本の会社にはそもそもないところもあるし、明文化されていない会社もあるが、たぶん大体の会社にはあるはずだ。Googleなら『世界中の情報を集めて整理し、アクセシブルにする』という初期のミッションや、IPOの目論見書で創業者が書いたレターが有名だ。

Corp Dev(買収/投資/提携)や企業戦略風な仕事をやっていると、この『ビジョン・ミッションがいかに会社の舵取りにリアルに影響を与えているか』を実感することがある。

はっきりいって、僕も入社したての頃は、ビジョンというものがなぜ必要なのかわからなかった。「ビジョンは何で必要なのか」と聞いてみても、パキッと答えられる人はあまり多くはないと思う。僕も「会社の存在理由だ」なんていわれて、煙に巻かれた気分になったことがある。

だが今は、具体的にビジョンがないと前に進まないと言った部分がたくさん出てきて、おぼろげながらなぜ必要なのかが理解できるようになってきた。自分自身はっきり整理できていないので、これを機に言語化して書いてみようと思う。

まず、このミッションとかビジョンというやつ、実はものすごく企業の得意・不得意に影響を与える。プロダクトの作りにも甚大な影響を与える。加えて、新規事業への投資にどうやっても逃げられない制約として存在している。(なのに多くの人がそんな厳しい制約だと思っていないフシがあるのが面白いところである)

なぜGoogleはソーシャルがうまくいかなかったのか。超超乱暴に解釈すれば、Googleのミッションに書かれたとおり、整理して人々にアクセシブルにする、というミッションとちょっと遠いからっていうのはあると思う。あと、Googleのビジョンは、オープンであり、公平であり、民主的であり、規制を廃し、シンプルであること、あたりかと思うが、EngagementやEntertainmentを想起させるようなものはあまり見受けられない。戦略的にソーシャルで勝ちたい!という意志だけではどうにもならない制約が結果的に裏に存在している。Google+とFacebookのプロダクトの作り方を見てもそういった信条が明らかに現れていることはわかるだろう。

他に、Googleの中国市場からの撤退は、上記の信条を曲げて、不公平なWebの世界(金盾)を受け入れてまで、大きな市場を取りに行くという妥協をどうしても許せなかったからだ。どんなに儲かったとしても理念に反する。財務的な理由以上に厳しい制約として見られたということだ。受け入れていたら超儲かったかもしれないが、致命的な理念の矛盾が生じて、大量の社員が辞めただろう。もう後々何をいっても『儲かるのが正義ならなんでもいーじゃねーか、かっこいいこと言っといて結局カネなんだろ』的な雰囲気が蔓延する。こういうねじれは後々社内に政治家をたくさん生んでいく。

ソニーはあれだけ金融事業に助けられているのに、なぜGEみたいに金融の会社にならなかったのか。それはソニーの設立趣意書に書かれている通り『自由闊達にして愉快なる理想工場の建設』を目指したからである。意識せずとも無意識的に刷り込まれている信念である。エレキ(電機事業)はソニーの心臓であり、創業事業であり、アイデンティティなのだ。きっと。面白いモノを作り出さなければならない。モノはタンジブルなものだ。

エレキを脱却すればよかった論者はたくさんいるが、実際にはそんなに生易しいものではない。ミッションを変えたらどうなるのか。全員がどこを向いて仕事をすればいいのかわからなくなる。採用で社員が熱意を持って何を語るのか、わからなくなる。何をやることが正義なのか、勝手な解釈がどんどん各部署で生まれていく。志ある人は、大義を失ってやめる。そもそも、全社員がかつて入社を決意した理由が消えてなくなる。

企業のミッションを変更するというのは、多くの社員が生理的に受け付けられないのと同時に、多くの致命的な課題を発生させる。第二の創業を決意すると言っても過言ではない。IBMやGEは再定義する道を選んだのかもしれないが、ソニーは変える道を選ばなかった。

こういう、会社として致命的な決断になればなるほど、拠り所として会社の理念やミッション・ビジョンが重要な材料になってくるようだ。

ミッションとビジョンは、全員が目指すゴールを定めるとともに、アプローチとやることまで同時に規定してしまうのだ。

いまぼくが勤めている会社も、素人目に見ても、明らかに得意なことと苦手なことというのはある。面白いのはそれが技術的に苦手なのではなく、デキる人がいないわけでもなく、ミッションによって苦手にさせられているのだ(もちろん悪いとはいっていない)。全員が軽視する領域があり、全員が重視する領域がある。だから全員が、『Mission-critical』なプロダクト戦略を取れるし、それに向けた採用要件を定義できるし、オペレーションもそれ向けに組まれる。ちゃんとTacticalにみんなが動く。こういう組織はとても強い組織だと思っているが、同時に企業の得意・不得意が生まれる。これは健全なことで、悪いことではない。

なお、クリスタルクリアで適切なミッションを持った会社は、自然と全員が同じ方向を向く。広すぎるミッションをもっている会社は、事業に収集がつかなくなる。狭すぎるミッションを持っている会社は、変化に対応できない。

会社のミッションは、例えば20年後、世界情勢やテクノロジーが一変しても変わらず持っている課題を指摘していなければならないが、それをうまく言語化するのはすごく難しい。たくさんの事例は知らないが、本当に会社の命運を左右してしまうのではないかと思っている。

リクルートは「まだ、ここにない出会い」といっている。検索とか情報提供とかに興味がありそうな印象を受ける。技術が変わってもずっとやってそうだ。GREEの「インターネットを通じて世界を良くする」というミッションは、意訳すればやる事業は問わないと言っている。やってないけどB2Bソフトウェアとかでも良い筋があればやりそうだし、フレキシブルな人を取りそうだ。たぶん10年後はぜんぜん違う事業になっているだろう。DeNAは、喜びやDelight、インパクトという単語が入っている。こっからすると、野球の球団はOBゾーンではなさそうだ。でも逆にきっちり系事業はそんなやらなさそうな感じがある。

面白いのが、こういうミッションとかって、結構みんな意識してないのだ。でも後々振り返ってみると、うまくいく新規事業は、結果的に会社のミッションの範囲の中にある。範囲を外れたものはあまりうまくいっていない。

外れていると、必ずいつか「なんでウチらこれやってんだっけ」となる。そこで、理念に沿って、事業目的にそって、やるべき理由を説明できなければ、投資は踏まれないし、目標も下げられる。社内からでも喜び勇んでそこに入りたいというデキる子も出てこない。こうしたミッション外の新規事業では、超熱意を持ったプチ起業家は、会社との考え方の違いに正面衝突してしまうし、オトナな事業家は、口先のうまいストーリーを作り上げて政治家に転身する可能性を秘めている。

こういった現象は、やる前から明らかに見えているのに、作る前にミッションを軸にこれをやると判断したんですか?というと、みんなそういうの気にしたわけじゃない、と思っている。時代はプロトタイプ・ファースト!だし、「とりあえずやってみてから考えよう」に集約されてしまって、致命的なことも考えなくなってしまう。でも結局、最終的にブーメランとして戻ってきてしまうのがこのミッション・ビジョンというやつなのである。逃げられるようで、全然逃げらんないのだ。

こうして、ビジョン・ミッションは、ハードな制約でありながら多くの人がスルーしてしまい、それが故に悪影響を及ぼしてしまうことすらある。

買収や企業投資は、この議論の究極系でもあるのだが、既に長くなっちゃったので割愛する。

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