「無知の壁」

Koichiro Honda
4 min readSep 20, 2017

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なんとなく仕事をしていく上で、「僕にはこれができない人間」という自分の勝手な思い込みが、人の評価にものすごい影響を与える場合が場合があるような気がしている。

「天才エンジニア」とかでありがちだが、自分のよくしらない領域のそれっぽい専門家にあった途端、なんのチェックもせずに手放しで褒め称え、その人を特殊能力を持った天才かのようにもてはやしているような場合がある。

得てしてそういう類の話は偽物の場合が多いのだが、ほとんどの場合ノーチェックでトップダウンに物事が進み、一気にスターダムにのし上がる。かつ、かなり長いこと気づかれずに済む。

こうしたときに中身が分かっている人の間では「なんで実力もないのにあの人評価されてるの」という疑問が回ったりする。妬みとかではなくて、本当になぜそうなったのかも理解できないといった質問だ。

こういうヨミ違いは、実際ほとんど、素人の側が「これはすごくむずかしくて、自分にはわからないものだから、専門家に任せないとダメだ」と思い込むところから始まる。

つまり特殊能力をを持って違う世界に住んでいる人間なのか、自分と同じ平凡な世界に住んでる人間なのか、どちらかしかいないという見え方から始まる。

だが少しでも何かの専門を持っている人はお分かりだろうが、専門知識というのは、極めて段階的なものである。

大前提の基礎を理解していない人がよりむずかしい理論をわかっている可能性はゼロである。つまり基礎的な知識が抜けている限り、絶対にまともな専門家じゃない。

線形代数がわかっていない離散数学の専門家はいない。統計をしらない機械学習のエンジニアはいない。エクセルのできない投資銀行家は確実に偽物だ(エクセルできないと寝れなくて仕事にならないから)。パワポができないのに戦略コンサルはできない(アウトプットのイメージないのに分析なんかできない)。そんなかんじである。

だが、専門家のカンチガイ採用がされるとき、ほぼ100%採用側が「素人である自分が専門家の良し悪しを評価できると思えない」と完全に思い込んでいることである。別世界の人間ということになっているので。

だがもちろん、そんなことはない。上記の論法を逆にすると、自分が極めてベーシックな知識を知っているだけで、ずいぶんと簡単に偽専門家を見抜くことができる。なにせ、Alt M Pをしらなったら少なくともまともな投資銀行家ではないのだ。ショートカット覚えるくらい簡単な話だ。

ショートカットは極端な例かもしれないが、例えば、教授が学生の研究の話を聞くとき、数秒/数分でどれくらい勉強しているかほぼ正確に判断できるはずだ。会話ぶりから基本的な専門用語を正しく理解できているかが、わかっちゃうからだ。別になにか厳しい質問攻めをしなくても、判断だけはつく。

逆に駆け出しの専門家が「すごい専門家」と評価する時「自分の知りうる限り一つも間違いが発見できない」という場合に畏敬の念を感じることが多く「自分のしらないスーパーな裏技を知っていた」という感じではない。(そうだったとしても、この人基本が間違ってるなと感じることが1個でもあれば、致命的な減点になる。) 世間一般の感覚と違って、専門家が一流かどうかは、減点方式の採点になることが多いのだ。

そうしたとき、専門家を評価するときの素人の使命は、しらない分野であってもド基礎だけは覚えることである。一見つまらなそうな初歩的な知識とか、教科書的な知識は、大半の専門家を装う偽物をバッサリ棄却するのにすごく有効で、踏み込んだ知識があればあるほどより適切に絞り込むことができる。

本物を見定めるために、最先端の知識は必要ないのだ。基礎的な知識をもって、明らかに違う、というものを棄却するだけで、本物しか残らなくなっていく。自分の持っている基礎知識でフィルタリングするだけで、相当数が減る。

こういうふうな基礎知識斬りは一番効果的で、いまのところ素人にとって専門家の評価する唯一の実効的な方法だと思っている。逆にこれがしないと、専門家風情な口だけなやつを通してしまう結果になる。酷い例だと評価基準が「風貌がそれっぽい」とか「メディアに出てるから」とかそういう感じになったりして、後々ぜんぜん笑えない状況になる。

上記のように、素人なりの徒手空拳な勉強だけでもとても役にたつのだが、多くの人はほとんどそういう行動はうつさずに、勝手に「自分にはわからない専門領域」と思って学習を諦めてしまって、結果的にファンシーな採用をしてしまうのだ。「バカの壁」ならぬ、「無知の壁」のような状況が生まれてしまう。

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