リオ五輪に見るAnimal Welfare

―パートナーとしての動物に、私たちができること

17日間にわたって行われたリオ五輪は、私たちの胸に感動と4年後への確かな期待を残して幕を閉じた。今日は、それぞれの努力を重ねてきた選手たちの中でも、とりわけ私の心を打った一組をご紹介したい。


(写真は本文とは関係ありません)

馬術はオリンピック競技で唯一動物が人とともに競技に参加する種目であると同時に、唯一男女の区別なく競い合う種目でもある。もちろん各選手は、跨る馬の性別によって区別されることもない。小柄な女性が繊細な手綱捌きで屈強な男性を上回ることもあるし、経験豊富な年配の選手が馬との緊密なパートナーシップを築き上げて素晴らしい成績を収めることもある奥の深い競技だ。71歳で愛馬ウィスパー号とロンドンオリンピックに出場した法華津寛選手の名前を聞いたことがある方もいるだろう。

各選手は自分のコンディションだけでなく、パートナーである馬のコンディションにも細心の注意を払う。競技でのパフォーマンスを左右する要素は人3割/馬7割とも言われ、馬の体調はもちろん、経験値や心理状態、乗り手への信頼感が重要になってくる。輸送手段や競技場付属の厩舎の状態も重要だ。


アデリンデとパージヴァル

オランダのアデリンデ・コーネリッセン選手は、馬がいかに美しく正確に運動するかを競う馬場馬術競技において、ロンドン五輪の個人戦で銀メダル、団体戦で銅メダルを獲得するなど、輝かしいキャリアを重ねてきた。コンビを組むのはパージヴァルという馬で、今年19歳になる。競技馬としてはそれなりの高齢だ。アデリンデが2004年に初めてシニアの国際大会で優勝したのも、パージヴァルとだった。

もちろんリオ五輪でもオランダ代表に選出されたアデリンデとパージヴァルは、計画通りにリオ入りし、調整は順調に進んでいた。ところが本番前日になって、パージヴァルは思わぬアクシデントに見舞われる。虫刺されが原因で顔が腫れあがり、40度を超える熱を出してしまったのだ。

アデリンデは付きっきりで看病し、パージヴァルも高齢とはいえオリンピックに出場するほどの馬だけあって食欲も衰えず、本番当日の朝には、体温も馬の平熱である37度台まで下がった。アデリンデは本番前の競技場内でパージヴァルと軽い運動をしてみた。パージヴァルのコンディションには特段問題がなさそうで、運動後厩舎に戻っても熱が上がることもなかった。

アデリンデの選択

アデリンデはここで難しい選択を迫られることになる。パージヴァルはもう元気そうだが、昨日は酷い熱を出していたことも事実だ。しかし優勝候補の一角であったアデリンデとパージヴァルが競技出場を取りやめると、自国チームが団体を組めなくなってしまう…。

国際馬術連盟の獣医やチームコーチの後押しもあって、結局アデリンデは出場を決意する。朝方軽く運動していたこともあって、本番直前の準備運動をさほど熱を入れて行うことはしなかった。前日のことを思えば当たり前だけれど、パージヴァルは気力十分というわけではなかった。

それでもアデリンデは、競技場内に入ったとき、パージヴァルが全力を尽くそうとし、やる気に溢れているのを感じたという。彼は決して諦めたりしなかった。

オリンピックという場の重圧や自国を背負うというしがらみを取り払い、鞍下の彼の思いだけを率直に受け止めたとき、アデリンデは何を思っただろう?

“the horse that has given everything for me his whole life”

その場にいた誰もが驚いただろう。

パージヴァルに騎乗したアデリンデは、競技場内には入場したけれど、実際に競技を行うことなく、敬礼―普通は演技の始めと終わりに行う―をして、そのまま競技場を後にしたのだ。

相棒であり、友人であり、生涯を通し彼女のためならすべてを惜しまないでいてくれた彼に、負担を強いるわけにはいかない。彼の「ために」、アデリンデはすぐ手の届くところにあった栄光を諦めた。

敢えて言おう。パージヴァルだってきっとそうだったのだ。長い歳月をかけて培われてきた絆があったからこそ、パートナーであるアデリンデの「ために」パージヴァルは競技に臨み、アデリンデを信頼して指示に従い、体調が万全ではない中でも全力を尽くそうとしたのだろう。

私はアデリンデの決断を惜しいとは思わない。むしろ彼らが一対一で向き合った時に互いへの思いやりと敬意を忘れず、彼らの信頼関係が損なわれなかったことを嬉しく思う。アデリンデとパージヴァルは近い将来きっとまた、万全の状態で勝負の舞台に現れてくれるだろう。


乗馬のAnimal Welfare

国際馬術連盟(FEI)は馬のウェルフェアのための馬スポーツ憲章を策定し、馬とともに行う馬術というスポーツにおいて、いかなる場合でも馬のWelfareを最優先することを求めている。パートナーである馬がAnimal Welfareという思想に叶った状態であることは、ホースマンなら誰しも望むことだろう。

また、競技場内に配置された障害を順に飛び越えていく正確さと速度を競う障害飛越競技の競技会規定では、「鞭は騎乗者の感情のはけ口として使用してはならない」「鞭を誤って使ったり、過度に使用したと判断された選手は審判によって失格、または罰金が科されることがある」といった明文規定が置かれ、虐待行為を防止している。

馬場馬術競技・クロスカントリー競技・障害飛越競技を3日間かけて行う総合馬術競技では、ホース・インスペクション(馬体検査)が獣医師などによって行われ、馬体に異常が認められた場合にはそれ以降の競技への出場は許されない。単なる競技成績の良し悪しだけでなく、馬の健康に配慮した規定である。

馬の協力と理解なくしては馬術というスポーツは成り立たない。同様に、騎乗者はその馬の性格や特徴を正しく理解していなくてはならない。騎乗者は、馬ができるだけ快適に正しい状態に収まるよう導く必要がある。馬を利用しているだけだと言われてしまえばそれまでだけれど、時間をかけて培った相互理解と信頼関係の上には、確かにそれだけではない感情の交流がある。

言葉の通じぬ相手であっても、伝えたいことを伝えたいように伝えようとする努力を繰り返した末に、伝えられることを理解しようとする相手の努力と合致して、伝えたいことが伝えたいように伝わったとき、それを「分かりあえた」と言うのだろう。

オリンピックという舞台で、アデリンデとパージヴァルが互いを理解しようとする努力を見失わないでいる姿を見せてくれたことで、動物と人とが対等に向き合うことのできる世界が、また少し身近になったような気がしている。