今年の私の生きる世界

こころ
3 min readApr 14, 2017

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2016年2月、宮古島にて

今年の目標

年明けに今年の目標を問われたときには「逃げないめげない諦めない」などと戯れてみたけれど、その後「生きる」ことそのものをもう少し追求してみたいなと思ったので、改めて、①無駄な色気を垂れ流す、②生きていると実感できる時間を増やす、の二本立てで行くことにした。

前者についてはここでは措くとして、ここ数年を振り返ってみて、私が「生きている」と心から思えた瞬間TOP 3は全て、どこぞの海でイルカと泳いでいるときだった気がするので、手始めに今月以降7月半ばまで、2週に1度のペースでイルカと泳ぎに海に足を運ぶ計画を立てている。

いつも海へは大抵同行している友人も、このスケジュール感にはさすがにドン引きの模様で、半分以上単独行なので、もし同好の士やご興味おありの方がいらっしゃればお声がけいただければと思う。(橘丸船内・現地では大抵飲んだくれているので、一緒に飲みましょう。←)

記憶の欠片

その瞬間瞬間をリアルタイムで五感いっぱいに感じることが最も美しい記憶の残し方だと思うので、写真を撮ることには長らく興味がなかったけれど、イルカと目線を合わせながら泳ぐあのときめきを少しでも記録に残せればと思うようにもなってきた。そこでダイビングショップのお兄さんとああでもないこうでもないと言い合って結局連れて帰ってきたのがGoPro HERO 5 Black。

ウェアラブルカメラの先駆けとも言えるGoProは、シュノーケルマスクに取り付ければハンズフリーで目線に近い映像を撮影できる、らしい。海の中ではイルカに集中したいので、エントリーごとにビデオを回しっぱなしにすることを想定している。そのままでも水深10mまで、ハウジングケースに入れれば深度50mまで対応可能なので、いつかチャレンジしようと思っている宮古島の通り池にも持ち込めそうだ。水中ではさすがに使えないだろうけれど、陸上では音声コントロールの扱いやすさにも驚かされている。

「生きている」ということ

思考も理性も何もかも手放して、身体性だけが残る瞬間を愛している。その瞬間すっと脳が冷えて、でも爪先までひりひりと熱くて、確かに「生きている」と感じる。意図的に精神や身体を追い込んでその瞬間を作り出してくれる厳然たる何かに支配されたくて従属したくて、けれど従属するに足る相手を見つけられずにここ数年もがいていたように思う。結局私はそれを望外に健全な形で、「海」に見出したのかもしれない。

重力から解き放たれたかと思えば、また呼吸という不自由さに囚われる。「息をするように」なんて使い古された慣用句だけれど、自分のやり方で胸いっぱいに息をするのはたぶんそんなに容易いことでもない。世間の常識から解き放たれたとしても、結局また歪んだ感情に縛られるのかもしれない。

それでも私はまた、イルカと泳げるあの島に行くだろう。直近の予定?今向かってます。

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こころ

生きる資格がないなんて憧れてた生き方