行く春や

こころ
4 min readApr 9, 2018

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ある人が私以外の何かへ注ぐ愛の強さを目の当たりにすることで、翻ってその人が自分へ抱いてくれる感情が信じられるものになる、という、私にとってなにかとても強烈で、そして大切な体験を、現在進行形でしている。

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愛されることに慣れていない女である。

愛を語ってくれた人はいたけれどそれを信じたことなど結局のところ一度もなく、いつも声には出さないまま言葉の裏を疑い、そして結局愛せず、染み付いた人間不信はもう消えることはないのだと思っていた。

そういえば、「私に興味がない人が好き」と言いつづけていたのだった。「私は私を愛せないので、私のことを愛さない人を好きになってしまうし私のことを好きだと言う人を嫌いになってしまう」という恐ろしく歪んだ精神構造なのだなあと我ながら感心していたのだけれど、そもそもそれ以前に人の心も己の心も信じられない人間なので、好きだと言われたところで1ミリも響かないのである。

好きだという言葉が得られた理由を私の中に探せば探すほど、私を愛せない私はその理由を私の中に見出せない。逆に、私を愛さない人が私を愛さない理由など星の数ほど思い浮かぶから、こちらに関しては疑おうという気さえ起こらない。

仄暗いところで生きている仄暗い人間に触れたがる人間はみんな仄暗いなどと、さすがに口にしたことはない。けれど、先回りして諦めてしまいたい臆病者なのだ。伊達や酔狂や妥協で選ばれたのだと、いつか失われるはずの仮初めの何かに今この瞬間溺れていたいだけなのだ分かっているのだと早々と諦めてしまえば、期待しなくて済むから。落ちる崖の高さは規定しておきたい。泣ける。

私を愛する必然性などない人だ、と思う。

愛するものをつよく持っている人だ。そのどれもをこよなく愛し、そのどれもに意味があり、そのどれもがきっと、愛されるに値するものだ。この人に愛でられるものは幸せだなと、愛するもののことを楽しそうに語る横顔を眺めながら何度思っただろう。

趣味への熱量が甚大な人は、異性関係も含め、ほかへ割くリソースなどないのだろうと思っていたのだけれど、ひょっとすると私の想像の200倍くらい、この人の感情リソースは豊かなのかもしれないなと、どうやらその一部が私にも向いているらしいことに思い至って、ぼんやりと気づき始めている私はたぶんそもそも、感情が、薄い。

この人は勘違いしているかもしれないし、きっと私を過大評価している。けれど、今この瞬間この人の言葉に嘘はないと、この人が何かを愛するときの一途な強さと、ときとして溢れる饒舌さを好きだと思った、私の本能が告げている。長らく私の中に求め続けてきた、誰かが私を愛する理由は、多分本来相手の中にこそあるもので、それを私が推し量ろうとすること自体まるで意味がないのだろう。

関係性そのものに刺激はいらない。

この人が見ている世界にも私が見ている世界にも、欲しい刺激は溢れている。私にだって愛するものはあり、1人でどこまでも探しに行きたいものもある。けれど今、たとえ分かられなくても、見てきたもののことをこの人に話したいのだ。そして、この人が見ているもののことを私に話してほしいのだ。人のすべてを理解することなどおよそおこがましく、人の愛するもののすべてを理解することも、この人の愛の深さを思うにつけ、およそ無謀に過ぎるだろうけれど、それでもそれを聞いていたいのだ。

諦めるところから始めることで自分を守ってきたけれど、そろそろそれ自体諦めようと思う。崖の縁から見下ろす渓谷は果てもないように深く、ここから落ちたら生きてはいられないかなと思うけれど、なんだかもうそれでもいいような気がする。

お互いの愛するものの話をする、平和で穏やかで、豊かな日常。でもそれは、お互いがいないと成り立たない日常だ。この人が愛してもいないものを愛しているなどと言うわけもない人だと気づきつつある私は、愛するもののことを語るこの人の言葉に熱が籠もれば籠もるほど、翻ってこの人の、私への愛を信じるだろう。

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こころ

生きる資格がないなんて憧れてた生き方