イルカと泳ぐということ

こころ
Aug 14, 2016

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―野生動物と心を通わせた気になること

社会人になってから見つけた趣味に、ドルフィンスイムがある。イルカと泳ぐことには幼い頃から憧れていたけれど、実際に野生のイルカと泳げる島が日本にあると知ったのは、大学時代の友人が小笠原の話をしてくれたからだ。

小笠原諸島父島。人口2000人程度。伊豆諸島を越え、東京都心から南へ約1000km。沖縄本島とほぼ同緯度。渡航手段は東京の竹芝桟橋からの貨客船のみで、所要時間は24時間を少し超える。平成23年には小笠原諸島が世界自然遺産に指定され、現在では自然環境の保全を大前提に、「環境に負荷をかけない」sustainableな観光スタイルが定着し、訪れる人にも理解が求められている。

そもそも1人1畳程度のスペースしかないこともある雑魚寝の船室で24時間耐えてまで小笠原を訪れようとする人間は、数いる海好きの中でも相当酔狂な部類に属するだろう。小笠原で私が出会った人たちはみな、海とそこに住まう生き物たちを真に愛する人たちだった。

島沿いには浅い珊瑚の海もあるが、岸を離れればすぐに数10mの深さになり、1時間程度船を走らせるとそこはもう伊豆-小笠原海溝だ。様々な表情を見せるこの海には、季節によって、熱帯魚からザトウクジラまで多種多様な生物が住まう。その中には、野生のイルカたちも含まれる。

ドルフィンスイムやホエールウォッチングは、ダイビングと並んで小笠原の一大産業になっていて、父島、兄島、弟島、孫島、そして南島の周りを、朝の出港から夕方の帰港まで一日、ツアー船同士連絡を取り合いながらイルカの背びれを探す。秋から春にかけては島の近海でザトウクジラのブリーチが見られるし、海況の比較的穏やかな夏には、船を走らせて深海に棲むマッコウクジラが浮上してくるのを探す。

野生のイルカと泳ぐということは、彼らの生息域にお邪魔して彼らのありのままの生活スタイルを見せてもらうということだ。ときには彼らに出会えなかったり、出会えたとしても彼らの気分が乗らなくて深みに潜ってしまったりもするけれど、もしも出会えて、一緒に泳ぐことができたのであれば、それは彼らの方から興味を持って近寄ってきてくれたとき、彼らの方から人間を受け入れ歩み寄ってきてくれたときだ。

彼らに受け入れてもらうには、その分人間の方も礼節を尽くさねばならない。飛沫を上げて飛び込んだり、しつこく追いすがったりすればイルカたちは、すい、とそっぽを向いてしまう。ドルフィンスイムを行う船の間では、エントリーの方法や回数などを定めた自主ガイドラインがあり、イルカたちにできるだけストレスを与えないよう配慮がなされている。ミナミハンドウイルカは人懐っこく、一緒に泳いでくれることも多い。シャイなハシナガイルカは基本的に船上から眺めるだけだけれど、ときには見事なジャンプを見せてくれる。

若いイルカたちは好奇心旺盛で、目を合わせて潜っていくと本当に手が届くような距離で一緒に泳いでくれたり、くるくる回って遊んでくれたりする。息が続かなくなって全速力で浮上して海面で息を整えている最中に、ふと下を見ると、さっき一緒に泳いでくれた彼が浅いところでじっとこちらを見て待ってくれていたことがあった。水の中では彼らの無駄なく美しい動きにただただついていくことに必死だったけれど、彼らに比べたら圧倒的に拙い泳ぎでも、私と一緒に泳ぐことを楽しいと思ってくれたのだろうか。あのときの感動は今も忘れられない。

だからこそ私は、ウェットスーツもウェイトもなしのスキンダイビングが大好きだ。自分の肺に入る分だけの空気で、自分に扱えるだけのサイズのフィンで、彼らの世界に飛び込んでいきたい。もちろんその世界にいられる時間には限界があるし、行きたいところに行けるわけでもない。けれど、その限界の中で、無条件に受け入れられ、心から自由だと感じる。

スキューバのライセンスも取得してはみたけれど、レギュレーターを咥えていては、私は海には溶け込めない。隔絶や拒絶を強く感じる。流れてゆく周りの景色を他人事のように見ている。渋谷のスクランブル交差点の真ん中でだって、きっと私はああいう風に感じるだろう。そうやって人間の領域や限界域を拡張することに、やっぱりどうしようもなくおこがましさや違和感を感じてしまうのは、私が凡庸な人間だからなのだろうか。

小笠原独特の、濃く深く、それでいてどこまでも透き通った青い海。目にした人を虜にするこの神秘的な海の色は、ボニンブルーと呼ばれている。

一度、マッコウクジラを探して船を走らせている途中に、深さ1000mを超えるマッコウ海域で泳いだことがある。表層の水温は高くても、10mほど潜ると水温はぐっと落ちる。海底などもちろん見えず、自分が飛び込んできた船さえも波の間に見失いそうになって、上下の感覚が曖昧になる。手足は自由に動くのに、目指すところは水の中で不確かに揺らいで、辿り着いたのかさえ判らない。

そんな青の世界の中でふと上を見上げて、「あ、もう駄目かもしれないな」と思う瞬間があった。上と下と、濃度の異なる青さの中で、このままどこにも辿りつけずどこにも抜け出せずに終わるのかもしれないなと、冷静になる瞬間があった。水面までは思ったより距離があり、辿りつくまで呼吸が保つ自信がない。肺の中の空気は酸素が希薄になり、海のざわめきに耳鳴りが混じり、遥か上から差す陽光と視界の端の星が交錯する。

けれど、たしかに、生きていると思った。

イルカたちが自由に泳ぐあの海で、いつも私はどこまでも不自由で、同時にどこまでも自由だ。

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こころ

生きる資格がないなんて憧れてた生き方