新人だからこそ許される失敗と挑戦の機会

新人だからこそ許されることは多い。

新しいなにかを始めるとき。すべての体験が目新しく、驚きと発見の連続であり、楽しいけれど非常に疲れる。本、インターネット、経験者から聞いた話などの知識をもとに想像していても、実際になにかが発生したとき、とっさには対応できない。

その結果、経験者ではありえないような失敗をすることがある。 
知らなければ対応できない、知っていても初見では対応できない、そういったことはよくある。経験者の多くはそのことを知っているので、新人が起こすであろう失敗への対応を考えながら行動している。だからこそ、新人の失敗は大目に見られることが多い。

新人からすれば、この機会を逃す手はない。失敗は、言い方を変えれば新しいことに挑戦した結果であり成果でもある。 
周囲が許容してくれているうちに挑戦することで得た経験は、情報以上の価値を持つ。失敗の数は挑戦・経験の数であり、新人ではなくなったときの財産になる。新人のうちにそれを得ることは、のちにさらなる挑戦への足がかりになる。

一方で、ただ闇雲に挑戦して失敗していいわけではない。失敗にも種類があり、その種類によって周囲の反応も異なる。

  • 単純な失敗:事前に予知できる、知識があれば対応できる単純な失敗。経験不足などの言い訳ができない、注意不足による失敗などが当てはまる。
  • 高度な失敗:専門知識を要する、基礎的な知識の組み合わせを要する、複雑な行動を要するなど、知識を持っていてもすぐには対応できないような失敗。
  • 創造的な失敗:知識を持ちあわせていない、未知の領域において行動した結果発生してしまう失敗。実験的な意味合いが強い。

この中で「単純な失敗」だけは極力避けなければいけない。一度目は許されるかもしれないけれど、 同じ失敗を繰り返すことは信用の失墜につながる。新人でも特に気をつけるべき失敗。

一方で、「高度な失敗」は積極的に経験するべき失敗。知識だけでは対応できない、経験しないとわからないことを学ぶためには挑戦するしかない。新人のうちは大目に見てもらえるので、回数を重ねて自らの糧にしたほうがいい。

ただし、「高度な失敗」も人によって受け取り方が異なる場合がある。新人にとっては高度でも、経験者にとっては単純な部類とみなされることがある。経験者にとってどちらに分類されるかは、新人が失敗したときの対応を見ることで把握できるけれど、経験者としての適切な振る舞いが苦手な人は「高度な失敗」を「単純な失敗」と同等に扱うこともあるので、経験者の対応だけに左右されるべきではない。 
自分が混乱しないためにも、失敗の内容を自分で分析し、どちらに分類するべきかを自らの考えとして持つようにしておきたい。それは自らを守るだけでなく、自分が経験者側になり新人の育成を担うとき非常に役立つ。

「創造的な失敗」を新人が経験する機会は少ない。まだ誰も経験していないような領域に挑戦するときには、この失敗が増える。失敗と表現しているけど、実際にはただの実験結果であり、次の実験につなげるための分析対象でしかないことが多い。イノベーションを起こすときに必要な失敗と言える。

そもそも失敗することは恥ずかしい、単純な失敗はしたくない、という考えを持っている人は多い。その結果、自らの失敗を「高度な失敗」や「創造的な失敗」に分類してしまいがちだけど、実際には「単純な失敗」であることが多い。「単純な失敗」は繰り返すべきではない危険な失敗であるため、正しく認識して冷静に分析し、対応を考えるように気をつける必要がある。

新人であるうちは、積極的な事前学習から「単純な失敗」を極力回避し、新しいことに挑戦していく中で「高度な失敗」や「創造的な失敗」を繰り返し、また失敗を正しく分析して経験値として蓄積していくことで、優れた経験者となるように行動したい。

なお、便宜上“新人”という表現を使ってきたが、新しいことに挑戦するとき、人はみんな“新人”になる。経験者であり続けることも大切だが、あえて新人になることも意識しておきたい。

参考

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