『この世界の片隅に』を、噛みきれずに飲みきれない

年末から大きな話題になっている作品を、未だに上手く評価できずにもどかしい。まるで大きな肉塊か強い酢でも口に含んでしまったかのよう。今まで自分が見たどの映画とも違う。さて、どうやって自分の内側に取り込んでエナジーにしたものか。

kotobato
5 min readFeb 12, 2017

最初に映画を見終わった時の感想は、なんとも複雑なものだった。ある程度の本数の映画を今までの人生で見てきたつもりだけれど、それらのどれにも似ていない。もちろん、何かに似ている必要などないし、常に新しい表現にはワクワクさせられたいのだけれど、どうにも処理できない大きな塊を抱えてしまった気がした。

その後、知り合いにこうの史代さんの原作マンガとチケットをプレゼントし、自分でも原作を読んでみた。広島で配布されていたロケ地マップを入手し、もう一度映画を見て気付いていなかったことを確認し、コトリンゴさんのコンサートにも行った。それほど手放しの大絶賛で追っかけているのかというとちょっと違って、とにかくこの作品にはずっとモヤモヤさせられているのだ。理由は自分でもよくわからない。

まるで、噛み切れない肉の塊を口に入れてしまったかのようで、無理に飲み込もうとすれば窒息しそうだ。顎の軽い疲れを感じながらも、未だにあちこちに転がして味わっている。うっかりすると自分の口の中まで噛んで、血の味がどちらの肉から出ているのかわからなくなる。健康酢の原液のようでもある。体にいいことは分かっていても、そのまま飲み込むには濃く、かといって吐き出すほど嫌なわけではなく、そうしている間に体温で温まった酸味と匂いは、弱まるどころかますます強くなった。

人にまず押しつけ、後から自分でも読むという妙な順番

後から、原作マンガを読んで初めて理解できたことも多かった。マンガというより、当時の雑誌や新聞、写真、生存者の証言も交えた丁寧な調査に基づいた、市民生活の歴史調査資料というレベルだった。戦争を「特別に異常な時代」という大きなくくりではなく、「平凡な私の日常にやって来た戦争」として密着したパーソナルな視点は、今までなかった気がする。従来の、悲惨さや残酷さばかりが強調され、テンプレート化した教育的な見せ方には、語る側も聞く側も感覚が麻痺していたことを、改めて思い知った。

徘徊堂さん@福岡市城南区別府からいただいて、お礼に古本も購入

映画は、アニメーションによるドキュメンタリー作品だった。丁寧なコマ数とテンポあるカット展開、そして何よりほんわかしたのんのナレーションを支える柔らかなタッチが、登場人物を活き活きと描いていた。織り交ぜられるちょっとした笑いや、抑えられた直接的な悲惨さが、個人では抵抗できない、忍び寄る圧倒的な暴力の恐怖を際立たせていた。『何でも使こぅて暮らし続けにゃならんのですけ、うちらは』と語る台詞ほど、自分事でリアルなものはない。正月明けに食べた七草粥の野草を刻むとき、あれほど特別に思えたこともなかった。

コトリンゴさん、意外?やMCトークも多くて楽しい、キャリア11年目のプロでした

元々、この映画を知ったのは、映画評論家の町山智浩さんが、ラジオ番組のPodcastで絶賛しているのを偶然聞いたから。町山さんのことは、本を1冊読んだことがあるぐらいで、活動はあまりよく知らなかったのだけれど、その熱い語りは評論家ではなく一人のファンのトークだったからこそ、見に行くきっかけになった。後で知ったのだが、監督の片渕須直さんが、『映画監督である前に、原作の一番の読者になろうとした』と語っていたことと、この作品のパーソナルな視点とに、偶然シンクロしていた気がする。

恐怖と悲しみに対する大きな抵抗ではなく、小さないくつもの共感が繋がることにより、戦争を知らない世代の関心をクラウドファンディングに集め、直接戦争を知る世代の足すら映画館に運ばせ、重い口と伏せた瞼を開かせた。もしかすると、映画史にとって、エポックメイキングな作品なのかもしれない。

世界のすべてはいつだって、ささやかな片隅の集まりでできている。日常という辛い現実を、どうやって工夫して明日へ生き繋いでいくか。映画そのものが、食べられる雑草であり、食材であり、調味料だ。噛みきれず、飲みきれないまま、もう少し味わっていたい。そういえば、上あごの内側に貼り付いた海苔って、結構、後々まで残るもんだよな。

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kotobato

書く描くしかじか…コピー/プランニング/デザイン/インストラクションなどやっております。誰かの素晴らしい考えや大切な思いを形にするってことは広い意味での『翻訳』かもと思う日々。信条は”cool head with warm heart, network+footwork”。