頭の回転が速い人は何が違うのか

Yoshihito Kuranuki
4 min readMar 13, 2018

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頭の回転の速さ、CPUで言えばクロック数みたいなものは存在する。そして、頭の回転が速い人もいれば、そうでない人もいる。

頭の回転の速さは、足の速さのように、その人が先天的に持って生まれたものと、後天的に努力によって培われたものが合わさって決まる。

才能はなんともならないが、せめて努力もしなければ、速くなることはない。目に見えないが差は開く一方だろう。

では、頭の回転が速い人は、一体何が違うのだろう?

“A cheetah in an enclosure in the middle of a leap” by Cara Fuller on Unsplash

それは、考えることをずっと続けているかどうか、ではないだろうか。考えようとして考えるのではなく、ずっと考えていると、考える力がつく。

ずっと考えてなかった人が、いざ考え事をしようとしても、そう簡単には考えられない。だから、回転の速さに差がついてしまう。

長距離を走ったこともない人が、いきなりマラソン大会に出場したからといって走りきることも、まして速く走るなどできないだろう。

専門家ではないからわからないけれど、脳の使い方も筋肉と同じようなもので、使っていれば鍛えられるし、使わなければ衰えるのではないか。

だから、常日頃から考えている人は、考える筋肉みたいなものが鍛えられている。そんな人は急に考える機会があっても、ある程度の速さで考えて答えることが出来る。

筋肉と違って、目に見えないので、ぱっと見では頭の回転が衰えてるかどうかわからないことは、とても恐ろしいことだと思う。

考える速さは、考える深さや広さにも影響する。深く考えられる人も、様々なパターンで考えられる人も、結局は考える速さが速いから出来ることだ。どちらも考えるスピードが解決してくれる。

ミーティングが始まってから考えるのではなく、ミーティングが始まる前から考えておく。そうすれば、その場ではさらに踏み込んだことが考えられる。

たとえ考えていた展開にならなかったとしても、それはそれで良いのだ。ミーティングのためで考えれば無駄になったかもしれないが、自分自身の思考力を高めることには役に立つだろう。

そういえば、私が大きな会社で新入社員だった頃、廊下で社長とすれ違って、会社について意見を聞かれたとしたら何て答えようか、なんて生意気なことを、ずっと考えていた。

ついぞその機会はなかったのだけれど、そうしたことも今思えば、考える訓練になっていた気がしている。

無駄になるかどうか関係なく、色々なことを考えながら生きていく癖をつけておくことが、考える力を伸ばすことに繋がる。

考えていることを言語化できるかどうか、これも頭の回転の一部と言える。モヤモヤと考えているだけの状態は、ただの悩みに過ぎない。

言語化することで考えとして成立するし、その考えへの反論も考えられるし、考えに考えを重ねて行くことで考えを深めていくことが出来る。

だから、思考は言語に制約を受ける。多くの言葉を知っている方が思考を広げやすくなるだろう。インプットはそのためにある。

慣れないうちは、メモでもなんでも、考えを書き出してみると良いだろう。書き出す際に言葉にすることで、モヤモヤした液体や気体のような考えを、固体にして取り出すことができる。

そうして考えをアウトプットしてしまうことで、また別のことを考えることも出来る。

いつでも、どんなことでも考えるための材料になる。料理をしてるときだって、もっと上手に、もっと効率的にするにはどうすれば良いか考えることが出来る。作りながら少し変えてみる。

スポーツでも出来る。水泳をするとき、どうすればもっと楽に泳げるか、速く泳げるか、そんなことを考えながら泳ぐ。25メートルのプールをターンするたびに少しフォームを変えてみる。

好奇心と改善したい気持ちさえあれば、自分に関係する様々なものごとで考えることができる。もちろん、考える仕事に就くことが手っ取り早いのだが。

そうして、ずっと考えていれば、それなりの頭の回転の速さは身につけることは出来るだろう、と考えている。

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Yoshihito Kuranuki

ソニックガーデンという会社を経営しています。「心はプログラマ、仕事は経営者」の精神で、プログラマという仕事を誇れるものにすることがミッション。 ブログ http://kuranuki.sonicgarden.jp ※2019年1月に新刊「管理ゼロで成果はあがる」でました。→ https://goo.gl/reZez1