我把工作換成了LINE

Takami Torao
3 min readDec 31, 2018

平成三十 戊戌、平成としては最後となる十月に私は LINE という企業に転職した。その節より目まぐるしい変化への対応に忙殺されていたが、正月の休暇と共に試用も終わろうという時でもあり、転職について書くとなれば良い時期であろう。

Sumida Aquarium. Photo by tora.

私は昭和四十九 甲寅、1974年に岐阜の片田舎で生まれた。今年で四十五となるソフトウェアエンジニアである。

物理学科を卒業してしばらくは、自分が何者か分からずにバイトや契約社員で食いつないでいた。そのうちにフリーのシステムエンジニアとなり、幾つかの金融系SIでフレームワーク設計、実装、性能調整などを請け負う稼業を9年間営んでいた。炎上プロジェクトに投入されるレンジャー隊の技術担当のような役が多かった。プロジェクトに必要であればどのような作業でも行う遊撃兵には縦割りや会社都合に縛られないフリーは都合が良かった。

その後は7年と10ヶ月の間、Q&A サービスを事業としている会社に在して Web サービスの開発や分散システムの構築、機械学習系の機能開発と研究を行っていた。当時は SNS ブームの始まりであり、Q&A コンテンツは比較的スキームのはっきりした良質な自然言語データが大量に存在しているだろうと考えたのが決めた理由だった。

昨年10月からは LINE のBlockchain Lab で日本数名 + 韓国数十名の体制でトークンエコノミープラットフォームの開発を行っている。ミドルウェアのレイヤーから実装する機会はそうそう得られるものではないだろう。ここ何年か P2P と分散システムに興味を投資してきたこともあって、それらを生かす機会に乗ったのが今回の転職の理由の一つでもある。

霧の中を手探りで進んで目的地への経路を見いだし、自身が装備している全ての道具を駆使して藪を切り開き、抜けたところで全力疾走する新規開発はやはり楽しいものだということを今はあらためて感じている。

新しい環境や過去の仕事、年齢的な理不尽への抵抗などについても書いてみたものの、あまりにも長くなったためあらためて別の記事で書こうと思う。ことさら前職をやめた理由については、女と別れた理由を滾滾と述べているようでみっともない印象しかなかったので全て削除した。それを期待されていた諸兄姉らには申し訳ない。

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