その答えを生きる。

修理固成
7 min readMay 5, 2018

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Inter Being:M・Yoshikawa

「スモール&シンプル」な暮らしへと向かう旅路の最も重要なステップにまもなく足を踏み入れる。ようやく自分のいのち以上に大切に念い、いのちを燃やし続けられるコトを見つけ、今まさにそれに取り掛かりかけている。

この日のために、iPadの如く「Air」に「mini」にと、要らないものは全て剥ぎ取り切った。己の表現の幅の狭く嘆かわしかった苦悶の日々にもお別れでき、いま実に清々している。いよいよ本丸を攻め込めるのかと念うと、背筋がヒリヒリりしてきた。

常に変わり続ける自分の生き方の背後で、ずっと首尾一貫しているのは、自分の心に問いかけて正しいと念う

「その答えを生きる。」

これに他ならない。

それは、何が自分の幸せに結びつくかを見極めて、それ以外の余分なものを未練なくあっさり切り捨てることだ。

毎朝起きて「何か違うな」と思いつつも、外圧でがっちりと固められた、あるいは自ら決め込んだ生活に引きずられ、日々何もできず…とは真逆だ。

バックパック一個で生きていけたらどんなに幸せかと念う。何にも縛られず働きながら学び、ただ旅しながら変化創造お役立ち業を営む暮らしに明け暮れたいなぁと。

例えば、自分がそういう暮らしを望んでいるんだったら、未来に描いて指を咥えるのではなく、今ここに引きずり込んででも成り切って、今ここから体現する。このことだけを念頭に、淡々と営んできただけだ。

まさに、読んで字の如く「夢中」である。

自分なりに意義を感じられる暮らしをし、一日を充実して終えたことを確信しながら眠りにつく日々を生きたい。孤独と自由で居続けるためには、これはもう執着してでも決して譲れない。これが常人にはできない決断を、平気で下して突き進んでいく原動力だ。

それは自己中心的といわれれば、たしかにそうかもしれない。

だって、利他主義とは残念ながら全然違うし、国連のなんとかゴールの何番目かにコミットしているわけでもない。良くも悪くも、圧倒的に究極的に自分だけに【超】集注しているだけだ。取り憑かれているかのごとく【超】コミットしている。

「与えられたレールを受け身で歩むでなく、
『人生の経営者』として創造的に生きたい。」

と、日々念ってはいる。

だからといって「こういう風に生きるべきだ、それが幸せだ」とか外部に訴えかけたり、誰かに強制されてして行ったりもしていない。頼まれない限り、余計なことはしない。

世間の「正解」や外野の声に耳を貸さず、
己の内から「生解(Living solution)」を生み出すのみ。

自ら自分に生きた問いをかけ、
そこから生まれ来る、生きた答えに生きる。

そのことことを通じて、
身を以て体現するのが譲れないポリシーだ。

だから、唯々、
「その答えを生きる。」

逆説めくが、自分自身と周囲に対して長期的に影響を与え続け、大いなるインパクトをもたらすのも「その答えを生きる」ことだ。

どんな雄弁やキャンペーンよりも莫大な力を内包し、しかも、根底に訴えかけるものがある。変化が変化を呼び、他人に次々と心理的感染し好転させていく力があるのだ。当初は未確認であった「体現する信念」を仮説検証し、確信に変わったのが、この5年間の収穫であった。

この一連の流れを
今までは「自己中心的利他」と考えていたが、
改めて名付けるとしたら

【個人精神主義】

とでも呼べるんじゃないだろうか。

自分も各々も念うところを勝手にいい感じで愉しく生き、みんなで今この世界を生きれたらいいのが本望だ。じゃあそれは自己中心なのかというと、まぁそうだけど(笑)

きっと、それだけじゃない!

時折この宇宙が創造したがっている、この世界に顕れたがっている未来が自分に流れ込んで来ることがある。そして、それは私たちを通じて現われ出てようとしている状態なので、宇宙さんのやりたいことの感知して、それを粛々とカタチにしていく代行業をしている。

これぞ「桑原さんは何をしているんですか?」への
おバカな?ド真面目な?(笑)
誠な真言な真事な真理な回答だ。

歌人の友人は「世界が歌にしてくれるのを順番待ちにしてくれているという感覚」だと述べていたが、どこか似たあやしいにおいが漂ってくる。

しかも、このエネルギー場には、現実の人間が3〜10年後にやりたいと願ってやまないことも内包されている。みんながやりたいけど踏みとどまっていることをもキャッチしてかなり先駆けてやっているつもり。

だから、現実的にはマーケットなんてのもはいちいち市場のリサーチや開拓なぞしなくても勝手に集まって形成されていく。これが独自の深海市場を生み出す「ブラックオーシャン☆マーケットアウト」

要は、自らを通して世界の未来を出現させる。

ここに、宇宙というつながり合う営みにおいて、自分自身が、世界のなかに存在するという流れの一部になる神秘的な一体感がある。今なんて正にそうだ。

その存在を語ったり表現したりするのではなく、むしろ生きる過程そのものを通じて世界を提案している。世界に身を任せて得たインスピレーションを、また世界にカタチにしていく作業。

これが【個人精神主義】的な暮らしだ。

というわけで、お金や物に支配されて窮屈に凝り固まった精神を解放したいという人間性を賭けた切実な要求に、これから身を以て応えていきたい。そのためにこれから衣食職住をひとつひとつ制覇していく。

「富まなければやられる」という競争感覚と「これ以上物質的に豊かになってどうするんだ」という戸惑いがせめぎあっているこの世の中。物やローンを持つことの重さというか、疲労感というか、できることが増えるはずが、かえって全然自由になった感じがしない、あの抑うつ感。

普通に生きるだけでも、身なりを整えてなんだかんだと手続きやら、契約やら、お金の計算やら、人付き合いやらマストが多すぎて、そうこうしているうちに、一生が過ぎていきそうな勢いすら感じる。

その頂点にあるのが「家」だ。
大きすぎる家屋は、家というよりは債務者の監獄だ。だから、この天守閣から撃ち落としていく。

その第3の道、即ち、中道とは、
「スモール&シンプル」に生きる道だ。

平穏であり、自由であり、シンプルを極めるのが
【個人精神主義】

地球規模のゴールの何番目に繋がるとか仰々しいことを理知的に目指し、理性によって自らを律し、利他的に行動に出なくてもよい。(もちろん出てもいいので、お好きにどうぞ。)

そういうのは、個人が心身ともに自由な生活を求める中で自然と達成されてくるものだ。普通の人間が少しの内省によって心の平穏を望む中で、自然と環境の負荷も減ったりで、気付けば人類全体としてなし得ているものだ。

個人精神主義は、一個人の物と心の調和が最優先だ。少なすぎも、多すぎもしないバランスの取れた暮らしが、実はそのまま地球全体のバランスや持続可能性に繋がっている。

だから、その答えを歩んでいく。

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