デザイナーの松浦泰明です。 主に製品の形や、 製品と人との関係をつくる仕事をしています。 Canonでは30年振りの新システム 「EOS R」 の初号機や、 iNSPiC RECなどの社内ベンチャー活動に携わってきました。 現在は、 記憶をテーマにカメラをモチーフとしたアート活動も行っています。
カタログスペックではなく、 より本質的な製品開発に挑戦したい — 。 そのような想いからkyu のプロジェクトに参画しました。 大企業ではできない新しい試みに強く惹かれたのを覚えています。
kyu cameraのデザインアプローチ
シンプルであること
デザインで最も重視したことは、 「シンプル」であることです。 ただ構えて、 パッと撮れること。 そのために、 サイズや形状、 ボタンの数など、 あらゆる要素を最適化しています。 一見当たり前のように思えるかもしれませんが、 世の中の撮影機器は多機能過ぎて、 純粋に撮るだけの機材は驚くほど少ないのが現状です。 カメラ特有の複雑さが、 撮影のハードルを上げている原因なのです。
多機能であることはカメラの魅力の一つですが、 使いこなすことができず挫折したユーザーを沢山見てきました。
kyuのカメラは、 使うことに関する心理的ハードルを極限まで下げることで、 日々の思い出を気軽に残せることを目指しました。 ポケットから取り出した時にはすでに構えられていて、 たった1ボタンで1秒以内に撮影できる — 。 そのような一連の撮影体験を、 どのプロダクトよりもシンプルにする覚悟で取り組みました。
ゼロからの発想
想定する撮影体験から逆算することで、 ハードウェアのサイズ感や操作部材など、 機能的な要件は自然と定まっていきました。
しかし、外観デザインだけは最後まで悩みました。 四角形をベースとした一般的なフォルムでも目的は果たせるのですが、 今回のカメラは常識破りな撮影仕様となっており、 外観デザインもチャレンジすべきではないのかと。
何より、 記憶をテーマに掲げるブランドが初めて出すカメラです。 一目見ただけで記憶に残るような、 これまでのカメラとは違う存在感を纏えることが理想でした。
様々な可能性を探りましたが、 作為的にオリジナリティを出そうとすると本質から離れるばかりで、 良い手応えが得られない日々が続きました。
そんな中、 kyu daypackのファイナルデザインが生まれた時のことを思い出しました。 あらゆる構造を検討した上で、 蓄積や先入観を取り払い、 ゼロから考え直したことで新しい答えに辿り着いたのです。 今回のカメラのプロジェクトにおいても、 思い切ってリスタートすることにしました。
デジタルカメラが四角形なのは、 ディスプレイが四角形だからです。 そのような常識を全て捨て去り、 ゼロベースで考え抜きました。 疲労の中、 自然と手で構える仕草をした時、 手の中に美しい楕円が浮かんで見えました。 これだと思いました。
すぐに3Dプリンターで試作モデルを作ると、 驚くほど手にフィットし、 特別なオーラを放っていました。
kyu daypackのフォトウォークの前、 丸の内のシェアラウンジで仲間に見せた時の驚きの表情は、 今でも鮮明に覚えています。
細部に宿る神を訪ねて
ポケットに入れて持ち運べ、 心が動いたときにサッと取り出せて自然と構えられる。 そのような 「ちょうど良いサイズ感」 を目指しました。
小さい方が携帯性には優れていますが、 小さすぎると操作性を損なってしまいます。 またカメラの持ち方や手の大きさは人によって異なるため、 誰かにジャストフィットするよりも多様な保持を受け入れる絶妙なバランスを追求しています。
細部も妥協せず造形しました。 一見ただの楕円形に見えますが、 実は上下で微妙に形を変えています。 これは手に力を入れなくても保持でき、 指に背面側のエッジが当たらないようにするためです。 一方で、 左右は完全な対称形です。 利き手に依存しない設計は、 右手持ちが常識であるカメラ業界ではとても珍しい挑戦でした。
3D-CADでのモデリングでは、 球体を変形させて造形する特殊な手法を採用しました。 この手法により、 破綻のない連続した曲面を実現しています。 手に馴染むように微調整を重ねたことで、 単純な形には現れないハイライトが映え、 視覚的な美しさにも繋がっています。
素材の選定においても 「記憶」 がキーワードとなりました。 当初は、 傷や汚れを気にせずラフに使えるエラストマーやポリカーボネートも検討していました。
しかし、 記憶を大切にするブランドとして、 記録装置を雑に扱うことを許容すべきか — 。 その問いから、 熱が伝わりやすいアルミニウムの採用に至りました。 撮影者の熱、 つまり想いが手からカメラに伝わる感覚を大切にしたかったのです。 傷や汚れに関しても、 それはユーザーの生きた証であり、 「記憶の一部」 だと考えられます。 ぜひ愛着を感じて頂けると嬉しいです。
スマートフォンという選択肢を超えて
本質的な機能への集中
kyu cameraならではの特徴は、 その徹底的なシンプルさにあります。 1つのボタン、 左右対称のデザイン、 有線接続の採用。 そして、 撮影の度に増えていく数字による、 カメラとの対話のような体験を実現しました。
五感で感じる体験の価値
kyu cameraの存在感は、 撮影という行為に意識を向ける特別な空気を作り出します。 手のひらに感じる質感、 シャッターを押す感触。 五感を通じて得られるこれらの体験は、 より深い記憶を紡ぎ出します。
被写体となる友人たちにとっても、 スマートフォンとは異なる新鮮な体験となるはずです。 SNSに直結しない、 純粋な撮影の時間。 そして、 撮影回数を重ねるごとに生まれる、 カメラや撮影者との対話のような関係性がkyu cameraにはあります。
「思い出」という体験の未来像
新しいモノがあることで、 新しい思い出が生まれます。 プロダクトデザイナーは、 ある意味で思い出をデザインしている人とも言えます。
自分はカメラという思い出自体をつくるプロダクトに関わってきた人間なので、 そのあたりは自覚的にデザインに取り組んでいます。
外観もそうですが、 触感などのフィーリングも大切な要素です。 自分のデザインによって、 それを使う人の思い出や人生が豊かになると嬉しいです。
物理的なプロダクトデザインの可能性
バーチャルな体験が加速する未来では、 物理情報を得るチャネルが減るため、 物理的なプロダクトはより記憶への結びつきが強い存在になると思います。
先日カメラをモチーフにしたアート作品展示をしたのですが、 作品を見た人がなぜかみんな昔話を語り始めるんです。 物理プロダクト自体が記憶装置になることを再認識しました。
「触れる」という体験の意味
リアルとバーチャルの差は、 情報量の大小でしかないという考え方があります。 バーチャルでのクオリティを高めていけば、 限りなくリアルに近づくということです。
バーチャル時代が加速した未来では、 僕らがボタンを押して光学的に被写体をセンサーに撮像する行為は、 とてもリッチなことかもしれません。 kyu cameraでは、 レリーズボタンだけは物理キーを採用しています。 指でボタンを押すことは、 画面をタッチするよりも情報量が多く、 能動性も高い行為です。
またフラットな形状のスマートフォンに慣れた現代において、 kyu cameraの曲面形状はユニークな持ち心地だと感じてもらえるはずです。 この触覚のアイデンティティが、 記憶への繋がりを深め、 思い出を紡いでいくのです。