先日、晴れて社会人となった。入社という大きな転換に際して、さまざまなもの、特に服を処分した。

私は奢侈をきわめる生活を長々とおくってきたと思う。それも、高校入学から大学卒業までの7年間で出た金銭の額は、口にするのも恐ろしい。倹約の隙なんて全くなかった。なぜかといえば、生活に責任を持たなかったからではないか。おのれの購買、支出、消費に対する、何かしらの報いが返ってくることなど考えられなかった。

鮮やかなショッキングピンクの装いや、親が途方に暮れるような服を買い続けてもまったく意に介せず。「常識的」で社会から要請されている服装のルールにそぐわないものばかり着ていた。薔薇柄のジャケット、20着を超えるピンクのスカートやニット、シャツ。ペラペラのワンピース。心から楽しかったし、好きなものだけを着ていたのだけれど、もう着られない。「常識的」な服装なしでは、信用、換言するならば「この人となら仕事ができるだろう」という他人からの安心感を期待できないからだ。休日といえども蛍光色を身につけるエネルギーなぞ残っていなかろう。

着ない服を持っていたところで、埃をかぶりゆくだけだ。というわけで、

社会人としてどうかと思う/今後着ないだろう/素材・質が悪く、下品に見える

という三点のうち、一つでも当てはまったら処分すると決め、無心に仕分けを行なった。

すると、捨てるべき服が45Lのゴミ袋3つ、それもぎゅうぎゅうに詰めて3つにまでふくれあがってしまった。

あの日「かわいい」と言われたお気に入りの服。はじめて旅に出たときに着た服。だれかと一緒においしいものを食べたときの服。それはもう、涙なしには捨てることができないような服ばかりだ。

それでも…、それでも。人間が持ちうるものは限られている。無尽蔵に所有したところで、無意味な蓄積の部分が多くなるだけ。

45Lゴミ袋3袋分の服は、明日のゴミ回収に出される。無慈悲にも炎に焼かれ、来週には灰となっているだろう。

親にどっぷり依存していたあの頃と別れを告げることができ、仄かな罪悪感と借りの意識から解放される。それはよい。あるべき姿だ。しかし、本当に、学生生活を取り巻いていたものとの訣別がはじまるのだな、と胸の上部あたりがきゅっと締め付けられてしまう。

さようなら、甘美で無責任な生活!

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