先日、二十一になった。二月から三月にかけての旅の回顧録を書いてくれという要望もあったので、ようやく応えたいと思う。私の手で書かれるものが愛されることは、この上ない幸福だ。

そして、また夏の長い休みに旅立つことになったため、思い返してみようという気になった。今度は、クロアチア、スロヴェニア、オーストリア、スロヴァキア、チェコ、ハンガリー。本当はセルビアやボスニアに行きたかったのだが、まだ彼の地に足を踏み入れるほど、私には覚悟がない。無論どの地もひとしく悲惨な歴史を持っているとは分かっている。しかし、未だ生々しく多くの人の記憶にとどまるほどの災厄に関してきちんと勉強してもいないのに、その土地に行き、博物館にでも訪れ、虐殺の歴史に連なるひとつの事象として認識するなどということは許されないと思うし、私の倫理に反する。兎にも角にも、また旧ユーゴの南部には今後訪れる機会があるだろうので、その前にさまざまな資料を読んでおきたい。

さて、春の旅行に話を戻さねばならない。

その前の、バルト三国への旅から三ヶ月も経たないうちに、私は再び長い旅に出た。

四十四日間で十二カ国―ブルガリア、ルーマニア、モルドヴァ、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、ドイツ、ギリシャ、イタリア、トルコ、中国、モンゴルを周るという気が触れたような旅だ。

わたしは、こと旅に関しては、おのれがそれを遂行できるかどうかに関心がない。そのことで「向こう見ずだ」と非難されたり、叱られたりすることばかり―こんなことばかりしていれば道中息絶えることだって殺されることだって可能性が無いわけではないのだから、それは当然のことだろうが。

けれど私は長く生きることを手放してでもたくさんのものを見ることを渇望していたいと思う。そこに何があるのか、いかなる歴史を持つのか、誰が生活しているのか。

甚だ親不孝であることだし、非常識と陰で言われているかもしれないけれど、我慢ができないのだから仕方ない。親には申し訳ないけれど、これからもこうして旅を続けるのだと思う。

旅は人生だ。あるいは、人生は旅だ。歩き続けなければいけない。足が萎えて立ち上がれない朝や、涙を堪えきれないほどに辛い夜が、数えきれないほど短いわたしの人生を通り過ぎてきた。けれども、歩き出せば、それ自体が希望になるということ、それが二十一年生きてきて知ることのできた最も重要なことのひとつなのだ。歩き出して何と出会うかはわからないけれど、足が萎えて止まったままよりはよくなるかもしれない。

もともとヨーロッパに行くことは決まっていた。大学の友人たちとベルリンに暮らす先輩を訪ねに行くついでにいろいろな国をまわろうと話していたのだった。ポーランド、ドイツ、ギリシャ、イタリア、トルコの順番に周るという、ヨーロッパ―あの巨大な、進歩の二文字を思わせる文化圏―の瓦解から誕生までを遡りつつ振り返る旅はその友人たちとともに、そしてモンゴルと中国は愛すべき旧友ふたりとともに旅した。旧友の一人が「北朝鮮に行きたい」と言い出し旅の計画がはじまったのだが、北朝鮮がエボラ出血熱を懸念し入国制限を実施したために、行き先の変更を余儀なくされ、中央アジアに行きたかった私が「モンゴルはどうかしら」と提案してみたところ、賛同され、北京から陸路でモンゴルに入国するという低予算かつ予測不可能な旅をすることとなったのであった。

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.