World Conquest 3

前回の更新から時間がとても経ってしまった。就職活動も経て、私を取り巻くものの質は変わってしまった。とはいえ旅をやめることなど考えられない。最後の「世界征服」チャレンジのため、この夏、私は中東へ飛んだ。それは、なぜか。ということについて書きたいと思う。

日夜、イスラームに関する報道が世界を騒がせている。何世紀も前から続く、ヨーロッパ外交の負の遺産、宗教の対立、民族の対立、…。ありとあらゆる要因が膿となり、今現在、至るところでマグマのように噴出している。極東で安穏と暮らし、心地よい同質性に身を委ねる日本とて無関係ではないことは明らかだ。というより、無関係な国家などないだろう。しかし、日本人がテロで殺害される報道を目にするたびに感じる「なぜ、私たちの同胞が殺されなければならないのか」という衝撃は、正直に言えば少なくとも私のなかには存在してきたし、イスラーム諸国家、イスラーム文化、イスラーム教に対する無理解・当惑・憎悪・恐怖は、西欧のそれとは比較にならないかもしれないが、無視できないレベルに膨張しつつあると感じる。バングラデシュのテロの後、静岡ムスリム教会に「イスラーム教徒は人殺し」などという葉書が数回届いたという。

「そんなことあるはずない、馬鹿馬鹿しいことを言うな」と言いたかった。そう言うのが教育を受けた人間の義務だと、傲慢にも思いたかった。しかし、「ならば、あなたはイスラームについて何を知っているのか、友達でもいるのか、勉強したことはあるのか」と訊ねられたならば、私は「何も知りません」と言うほかない。知ろうとしていないことについて言及するのは、愚かだ。謙虚に沈黙を守るべきだ。さりとて、もはや知らなくて済む事柄でもない。私の通っている大学でもヒジャーブをかぶった留学生たちが和気藹々と歩く姿はすっかり自然な光景となり、近隣の弁当屋はハラール(イスラームで「許された」の意、戒律に則していることを表す)を謳った弁当を販売している。インドネシアやマレーシアとのビジネスも盛んになりつつあり、また、限りなく僅かではあるが、シリア難民を受け入れることを日本政府が決定した。これだけ我々の生活圏に「イスラーム」に関係するものが存在しているにもかかわらず、無知であり続けることは罪悪だ。無知は偏見を生み、偏見は他者を傷つけるのだから。

「人間社会に関するあらゆる知識は、自然界に関する知識とは異なって歴史的な知識であり、したがって人間の判断と解釈に基づくものである。[1]」サイードは「他の国の文化について知る」ということがどれだけ「非科学的」で正確でない―歴史的なコンテクストに依存しているかということをしばしば言明する。また、彼は、知識とは不安定なものであるという前提を措き、「出来るかぎり誠実に」知ることを欲する傲慢な人間にとって絶望的な宣告を下す。解釈、理解、そして知識というものは、利害から離れた場所で存在することはできないというのだ。また、とりわけ「イスラーム」は地理的・文化的・心理的に遠いゆえに、我々が知るところの「イスラーム」は、我々が求める役を演じているかもしれない。

しかし、諦めるわけにはいかなかった。自己満足のくせにと叱られるかもしれぬが、可能な限りの場所を自分の足で歩き、脳と五感を駆使することで、一面的になりがちな情報摂取をできるだけ多面的なものにしなければならないという強迫観念がつきまとってきた。それが私にとって、世界に対して誠実であることを可能にする唯一の方法であった。サイードが苦々しく語るように「人間社会に関する知識は歴史的」であり、我々日本人の知識の摂取源が「宗主国」たる西欧の眼球であったとしても、西側メディアによる報道や解説を眺めているだけよりはマシなのではないかと思ったのである。

かくして私の最後の大旅行、教育の仕上げであるところの「グランドツアー」の目的地はイスラーム世界となった。まず各々の国の歴史について最低限の資料を読んで知識を仕入れてから、イスラーム世界の住人と交わり、彼らの生活の一片でも学んでこようと望んだというわけだ。「イスラーム世界」というのも紛らわしく乱暴な呼称だが、便宜的に「イスラーム教徒が人口の50%以上を占める場所」という定義にさせていただきたい。とすると、イスラーム世界はあまりにも広汎で、どこに行けばいいのか見当も付かない。そこで、私は以下の国―イラン・アゼルバイジャン・ウズベキスタン・カザフスタン・キルギス・パキスタン―を選んだ。高校のころに勉強したイスラーム史において印象強かった国々であったからという理由、また、かねてより高い関心を持ち続けている旧ソヴィエト連邦の構成国に渡航したかったからという理由によるものである。さらに、この機会に近隣の国も周遊してみようと思い立ち、アルメニア・グルジア・インド・中国も加えた。また、飛行機の乗り換えの都合で、マレーシア・アラブ首長国連邦・スリランカも丸一日ほど訪ねられることに。しかし、可及的迅速に卒論に注力しなければならないし、時間は限られている。期間を一ヶ月半に設定し、そのなかで12ヶ国を渡り歩く計画を立てた。

【スケジュール】

7/31 クアラルンプール(マレーシア)

7/31–8/9 テヘラン・シーラーズ・ヤズド・イスファハン・カーシャーン(イラン)

8/9–11エレバン(アルメニア)

8/11–13 トビリシ(グルジア)

8/13–15 バクー(アゼルバイジャン)

8/15–19 サマルカンド(ウズベキスタン)

8/19–20 タラズ(カザフスタン)

8/20–24 ビシュケク(キルギス)

8/24 ドバイ(アラブ首長国連邦)

8/25–28 イスラマバード・カリマバード・ラホール(パキスタン)

8/29 コロンボ(スリランカ)

8/29–31 デリー(インド)

9/5–18 西安・蘭州・嘉峪関・敦煌・上海・南京(中国)

また、インドが記念すべき渡航国50カ国となった。複数回渡航している国もあるため、総計60ほどになるのだろうか。大学に入学してより三年と半年ほど、随分と旅したものである。「おのれの目で見たものしか信じない」が高じた結果ではあるが、今振り返ってみると、「これで良かったのだろうか」と自問自答せざるを得ない。「物事を知る」ということは、文献と自己体験の両輪、すなわち座っている時間と歩いている時間が揃ってはじめて可能になるのであり、私は座っている時間があまりにも短かったからだ。これでは、物事を表層的にしか捉えられない。というものの、大学生活は有限。時間を何に充てるかは選択しなければならないし、その結果はおのれの責任だ。

書きすぎた。私は何かを書くときは常に、極めて神経質になってしまう。私のある種の慎重さは、これから悪癖と呼ばれるのだろうが、それまでの許された時間を、猶予を、焦らずにそして不器用であることを保ちながら過ごしたい。

[1] エドワード・サイード『イスラム報道(covering Islam)』第三章「知識と権力」より「知識と解釈」p190(浅井信雄他訳 みすず書房 2003)

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