芸術とはフラット化する世界に新たな起伏を与える道具

村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで― 横浜美術館にて開催!2016年 1月30日(土)~2016年4月3日(日)横浜美術館[みなとみらい]〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい3丁目4番1…yokohama.art.museum
村上隆のスーパーフラット・コレクションを見てきました。サブカルチャーの視点から「芸術ってなに?」と問いかけるスタイルはいままでなくて、学生のときからずっと追いかけている人です。この展覧会は、彼の「芸術ってなに?」をコレクション作品を通してまとめたものでした。
彼の言う「スーパーフラット」とは西洋芸術に見られる立体的な表現ではなくて、現代日本のアニメやイラストに見られるまっ平らな表現のことを指しています。そして、同時に新しい、古いという時間軸もフラットにした考え方のことでもあります。フラットにした結果、芸術を多面的に観察しているんだと思うんです。
召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか
これは2001年に東京都現代美術館で催された村上隆さんの個展のタイトルであり、ロックバンドくるりの「LV30」という曲の歌詞です。僕は今日の展覧会を見終わって、15年前に見たこのタイトルを思い出して、帰り道にいろいろと考えました。それは、この世界は”全滅”に向かって進んでいるんじゃないか?という考えです。
召喚する
当時の展覧会は、まさにスーパーフラットを「召喚した」ものだと捉えています。で、それは芸術だけではなく、暮らしの中にあるさまざまな所もフラットになって来た。国家、情報、経済、文化。「グローバル」という超ポジティブな魔法の言葉でフラット化は是とされ、いまでもどんどんフラットになっている。で、このぺしゃんこになった地平線の果てには何があるんだろうと僕は考えるわけです。
ドアを開ける
果てには、人間の存在価値に「?」がつくということが待っていると思うんです。なぜか。それは「人工知能」の可能性が眠る部屋の「ドアを開けて」効率化を推し進めていく中で、人間は機械に近づいていくし、機械は人間に近づいていくと思うんです。経済活動を極限まで高めようとすると、人間というエラーを起こす労働力は邪魔なわけで、どんどん機械に代替したほうが理に適っています。でも、それを追い求めてみたらどうやら「人間らしさ」の要素がないと人と機械は共存できないらしいと気付き、機械は人間に近づいていくんだと思うんです。
回復する
機械との共存。それは人間にとって不利益なものを排除し、失ったものを取り戻す「回復する」行為なのではないか。そして、機械にとっては人間は自分たちが存在するためのなくてはならない存在に。両者はどんどんと近づいていき、どこからが人間で、どこからが機械なのか曖昧になっていくと思います。
全滅するか
そうすると、人間は自尊心を失うことになるでしょう。僕はこの世界に起きていることのすべては人間の自尊心から発生していると考えていて、フラットになり、効率的になり、課題がなくなると、その根源たる自尊心は存立危機状態になるわけです。だから、古代から現代まで、為政者は自尊心を保つために問題を起こして、自分を確認してきたんです。で、未来にはその存在意義をついに機械に奪われる。奪われるというか、存在意義という概念は薄くなるかなと。僕は、私は、必要な存在なんだと叫んで、さまざまな問題を作ったとしても、機械が最適解を見つけて解決していく。そのとき、人間はどうするんだろうと考えると、ドキドキします。
専門家がみたら、なんだこの荒唐無稽なSFはと、お叱りを受けると思いますが、ある青年が美術館から帰る道すがらに思いついたストーリーなんでご容赦ください。結構、本気だけど。
最後に、僕がスーパーフラットコレクションを見て思ったことは、芸術とはフラット化する世界に新たな起伏を与える道具だということです。良い悪い。高い低い。新しい古い。いろいろと比較することは無意味かもしれないけど、だからこそ人間は良い方向に行こうと前に進んでいく生き物だと思いますし、それを楽しめる生き物だとも思いました。
ああ、スイッチオン。
レベル30、飽きてきた。
それでもクリアしなきゃ。
クリアにしなきゃ。