12の都市。12ヶ月。あるプロジェクトにかけた2015年を振り返って。

これは、2015年を世界中の12の都市で一ヶ月ずつ過ごし、各都市で共通の企画を行うプロジェクトを実行しようと試みた、僕のお話。そして試みたものの、別に自分自身がネット上でのスターになるわけでも、プロジェクトが想像を超え大成功したわけでもなく、しかしその代わりひとつ、とても重要なことがわかった僕のお話。

この文章を書いている2015年の大晦日、プロジェクトの最終都市バンコクにて、364日前の自分の心境を思い出してみる。羽田からサンフランシスコに飛び立つあの時の自分は、今の自分の気持ちを全く想像できなかった。その今の気持ちとは、言葉に表すと「平静」だろうか。もしくは「日常」だろうか。一年で5大陸に足をつけ、世界を代表する12の都市に一ヶ月弱ずつ滞在したのに、プロジェクト自体が終わりを迎えることに対する躍動感は感じられない。満足感や達成感も特にない。去年の今頃、「ここ」に到達した自分は、一種の歓喜に満ち溢れているのだろうと想像していた。もしくは歓喜とまではいかなくても、「よくやった」と自分に対して言えるのではないかと思った。しかし、「ここ」にいる今、そんな気持ちはまったくない。そこで疑問が浮かぶ。「なんで?」

答①:結局、根本的にはあまり変わらなかったからだろうか?

プロジェクトの最終段階で気づいたのは、なんだかんだ自分は「旅」や「旅行」というものがそんなに好きではないということだった。この場合「旅」や「旅行」というのは、主に自分探しや観光といった理由で、自分の住んでいる場所から離れる行為、という勝手な定義付けをしている。世界中で出会った人と話してて、一番「え、うそでしょ?」とびっくりされたのが、僕自身、今までこのかたほとんど旅も旅行もしたことがなく、正直旅にも旅行にも興味がなかったと打ち上げた時だ。例えば今まで長期的な休暇があった場合、一度も「よし、今度の休みは旅行に行こう!」と思ったことがなかった。そして今振り返ってみると、その部分はまったく変わってないのだ。例えば、12の都市以外で行った場所を考えてみると、彼女と一日だけ滞在したニース以外、全てその場所に友達もしくは家族がいたから訪れた。気づいたことは、結局自分は東京やポートランドにいた頃と同じで、家を出る時は9割型友達や人に会うためだけだった。変わったのはその場所だけ。スウェーデンのゴットランド、イタリアのバルバレスコ、カタールのドーハ。確かに、地名はちょっとエギゾチックになったけど。

答②:実行しようとしたプロジェクトが、まったく想像通りにいかなかったからだろうか?

元々は各都市で共通する12の企画を行おうと思っていたのだが、今だからわかることは、完全に作業量と作業効率をナメていた。また、モチベーションの管理の難しさも完全に甘く考えていた。初めて訪れる国や都市で、初期段階では誰も知らないまま、一人で生活し、一人で作業し、その中徹底して、日々たるまず自分をプッシュし続ける難易度の高さを想像できていなかった。プロジェクトのフェイスブックページも、最終的には驚愕するほど拙い「294いいね」で2015年最終日を迎えた。元々は6月までには1000人、年内にはその5倍、うまくいけば10倍を、と(根拠もなく)期待していたのに。もしこれが会社の業績だったら、今頃倒産の危機だ。

答③:これだけいろいろ経験したのにもかかわらず、未だにテクノロジーと、テクノロジーが我々に与える影響に一種の嫌悪感を感じているからだろうか?

プロジェクト実行中に直接出会った、もしくはネット上で発見した世界一周経験者たちの多くは、ものの見事に「それら」ができていた:徹底した自己マーケティング、ありとあらゆる考えや気づきを抵抗なくアップロード、フィルターがかかりまくった写真の投稿、ツイッターやインスタグラムを駆使した憧れとリア充感の伝道。プロジェクトが終盤に入りこの事実に気づき、自分の一年の投稿を見直してみたら、自分自身が写っている写真がほとんどないことに気づいた。ブログの最初の写真だけはいつも自分が写っているものにしたが、それも「さすがに一枚も自分の写真がないのはヤバイかな?」と意識的にやっていたものだった。サクラダファミリアを背景にセルフィーを撮れたところを、バルセロナの恐ろしく画期的で効率的なゴミ収集システムに感動して、道端に落ちているゴミ袋の写真を撮っていた。そういう一年だった。自己ブランディングもクソもない。

プロジェクトを実行し、この一年を経たら、自分は変わると思っていた。冒険を好む旅人になると。大きめなリュックと寝袋一つで、リオデジャネイロからアマゾンの奥地にある湖を求めに行ったり、週末を使いバンコクからラオスへ出かけ、小さいボートで川を下っていくような、ワイルドでかっこいい人間。世界を周りながらそこにいた自分を写真に収め、それらを戦略的にネット上に載せ、SNSをフル活用し、これらのおかげでフォロワーが増え、サイトのアクセス数が伸び、プロジェクト自体が(小規模でも)一種の社会現象になる。そんなことを想像していた。しかし、そんな妄想も儚く、結局全部フィクションで終わった。

それでもはっきり言えるのが次の言葉。今年、このプロジェクトを実行した期間こそが、今までの人生で最高の一年だった。ダントツで。

高校生のころ、何より嫌いだったものが、日常が繰り出すサイクルだった。毎日が基本的には同じことの繰り返し。明日も昨日と特別変わらず、どっちも同じぐらい空虚で灰色なモヤモヤに包まれている日常。当時は、大人になればその日常から脱却できると思っていた。しかし実際は真逆で、大人になればなるほど、そして働けば働くほど、日常のサイクルは濃くなるばかりだった。

だからこそ、プロジェクトを実行したこの一年は本当に夢見のような時間だった。毎日、新しいことを学んだ。毎日、想像を超える出会いがあった。毎日、今まで「普通」だと思っていたことを問い直させられた。 プロジェクトをやったおかげで、何百人もの現地に住む人たちに出会えた。国籍、人種、宗教、職業、性別、そして価値観が違う個性的な人たちが、一人一人、経験や考えを話してくれた。そしてその度、新しい世界が自分の中で生まれた。脳は刺激され、価値観はその正しさが問われ、知識は何倍にも増えた。これが2015年の日常だった。

「なんで?」に対する答えは、この事実と、上記にある三つの「答え」の中にあった。歓喜も達成感も完結性も感じないのは、結局自分は自分のままだからである。自分は旅人にはならなかったし、プロジェクトも、SNSで色映えしそうな写真の集大成にはならなかった。むしろ、逆だった。このプロジェクトは「自分」という要素がほとんどなく、出会った人たちのものとなった。

滞在したどの都市も、自分にとって、「終わった」と感じることはなかった。このプロジェクトを構築している段階では、都市とは人によって作られているものだと思っていた。そしてその思いは、今より強くなっている。観光名所、おしゃれなホテル、ショッピング街などは、都市の中の僅かな(そして個人的にはつまらない)部分だ。都市を面白くするのはそこに住む人間で、最終的にその都市のアイデンティティーを作り出しているのも彼ら彼女らだ。だからこそ各都市を離れるとき、飛行機が離陸したその瞬間でさえも、その都市を「離れている」という感覚はなかった。なぜなら、逆だったからだ。使い古された表現にはなるが、それは「始まり」だったのだ。その都市で経験し学んだことは全て自分の中でこれからも進化していくし、友人関係は続いていく。「終わった」なんて思えるはずがなかった。

そして、実際にまだプロジェクトは終わってない。三月の半ばには展示会が開かれ、その準備がすでに始まっている。未アップロードのインタビューもまだ50個以上残っている。翻訳が必要な残りのページ数を考えると、目が回る。さらに多くの都市で「World in Twelve」を実行したいという欲もあるし、今年出会った多くの素晴らしい人と、今後様々なプロジェクトでコラボレーションしたい願望もある。2015年、12月31日現在、達成感や満足を感じていないのは、今年を振り返り、過去に浸ってないからだ。頭の中には未来しかない。

なので、最後に、このプロジェクトと想像を超えた一年を作り出してくれた、今年出会った全ての人に心の底から感謝したい。お昼、お茶、ブランチ、夕食、飲みに連れて行ったくれた全ての人に。街を案内してくれて、お店を紹介してくれて、新しい知識を与えてくれて、僕の話を聞いてくれた全ての人に。あなたたちのおかげで、忘れられない一年が自分の中に刻まれた。あなたたちのおかげで、滞在した全ての都市が大好きになった。あなたたちのおかげで、「これから」のことに、今まで以上に希望とワクワク感を抱いている。

希望とワクワクに溢れた未来。次会うときは、そこで!


この記事の英語版はこちら