発想を得るための手順

YUGEN
7 min readJul 12, 2016

--

“真実を述べる. 手順がいかに作用するのか誰にも全くわからないし, 「手順」と名づけたときにすでに危険な憶測を進めているのかもしれない.” — ジャン=カルロ・ロタ

何かを偶然(あるいは閃きによって)発見する経験は誰にでもあると思います。しかし、アイデアに煮詰まると、アイデアを得ること自体を手順化できればいいと考えがちです。手順化が可能であったとしても、そこに落とし穴はないのでしょうか。

手順化の例

例えば、「アイデアは概念の組合せによって生じる」と仮定することがあります。もし、本当に「組合せ」次第でアイデアが生じるならば、必要な要素をいくつか用意してから、これらをいくつ選ぶのか、という数え上げの問題として考えることができます。これは、C(n,m)のように記述できますが、このような方法でアイデアなど得られるでしょうか。

まず、この単純な概念を、実用的な方法で適用してみます。テーマは「人間の行動を解明するにはどうするか」とします。

最初に、要素を用意する必要があります。人間の行動の解明に必要かもしれない要素のことです。例えば、「感覚(S)」「運動(E)」「言語(L)」という要素から部分的に解明できる、という仮説を立てます。これは、最初の仮説になります。

この仮説に対し、各要素への変換規則が存在すると考えます。これは2つめの仮説です。例えば、感覚から運動、感覚から別の感覚、言語から感覚…といった具合です。3つの要素から2つを重複を許して並べるだけなので、以下のようになります。

SS, SE, SL, ES, EE, EL, LS, LE, LL

これを図示すれば、以下のようになります。

普通、何らかのバイアスが働き「この変換規則はありえない」としてしまいがちですが、意外にありえないこともないものです。感覚から別の感覚へ変換する「マガーク効果」や、言語から感覚へ変換する「共感覚」のような現象を踏まえれば、仮説の段階で否定的な結論を述べるのは、むしろ注意すべきかもしれません。

さて、この変換規則が9通りであることがわかりましたが、実のところ「詳細化」を行うと、この場合の数はさらに増えていきます。

ここでの「詳細化」とは、「要素」に対して、「部分要素」を考えることです。例えば、以下のようになります。

感覚(S): 視覚, 聴覚, 味覚, 触覚, 嗅覚, 第六感
言語(L): (言語の構成要素を列挙)
運動(E): (運動の構成要素を列挙)

要素を木構造で表すならば、最初の要素は深さ1の要素と考えることができ、その部分要素は深さ2です。

このようにして、「要素の要素」というツリーを構成すれば、深さkの要素数は、各ノードの下方向の枝の数がhならば、hのk乗となり、深さ1からkまでのノードの総数は、等比級数の和として表されます。

h=3, k=3ならば、3+9+27なので、39通りとなります。しかし、ここで求めたいのは、ノードの数ではなく、ノード同士から得られるアイデアの総数です。前述の過程では、2つの要素の間の変換を考えたので、2桁の39進数の総数と同じであり、”少なくとも”1521通りのアイデア(要素間の変換則)が生まれる可能性があります。ただし、これらは「異なる抽象レベルの要素を組み合わせることができる」という前提での計算です。

ここで、要素(あるいは概念・知識)の抽象レベルは、木の深さで定義できると考えることができます。深さが浅ければ抽象的であり、深いほど具体的です。ただし、これは抽象レベルの話であり、要素の価値の話ではありません。最も抽象的なレベルの法則を見つけたとしても「その法則の例外となる具体例」の存在を考慮する必要があります。

この手順について考察

さて、ここまでの話において「あるテーマにおける要素の木から、いくつかのノードを選び出す方法」をつらつらと書きました。しかし、この手順は本質的に「最初に挙げる要素」によって、木の構成は左右されます。抽象的なレベルになればなるほど「どんな要素を考えるか」という点において、センスが要求されると言わざるを得ません。

また、要素にこだわるあまり、別の視点を疎かにしてしまう可能性もあります。突発的に起こるアイデアは、全く想像もしなかったものであることがありますが、この手順で行われる方法は、より上位のノードによって制約がかけられているため、想像通りのものしか生まれないかもしれません。

一般的に、要素は「構造」や「機能」といったものから分類されますが「どのような分類から要素を挙げるか」という問題も考えられます。あるいは、この発想法とは逆の方法で、「具体的なレベルから抽象的なレベルに向かう」ほうが現実的である場合もありそうです。たぶん、ある手順に執着するとかえって発想がわかなくなるかもしれません。

「閃きによってアイデアを得る」という偶発的な行為に立ち返れば、形式的な「トップダウン/ボトムアップ手法」が、思考に制約をかけてしまうことにもなりかねません。ここにトレードオフを見出すなら、「形式性と柔軟性のトレードオフ」とでもなるでしょうか。

形式的な手順を生み出せば、能力や偶然やスキルへの依存は減少しますが、能力や偶然やスキルによってしか生み出せないことが生まれなくなる可能性があります。一方で、柔軟性に頼ると、才能をもった人がより成果を発揮できる可能性は高まるかもしれませんが、能力や偶然やスキルへ高い依存性を持つことになります。

こういったトレードオフは、自分がしようとしている事柄や、自分におかれた状況によって最適化を行うべきだと考えるかもしれません。そもそも、「徹底的な形式化によって誰でも行えるようになる」ということは、要するに人間でなくともできるということです。しかし、こういったトレードオフ問題を考えること自体が、固定化された考え方であるということもできます。

私が思うに、「どのように発想を得るか」ではなく、むしろ、「何を問うか」「何に対して問うか」「どのように問うか」「なぜ問うか」といった「問いに対する問い」が重要かもしれません。この場合、「どのように発想を得るか」という問いについて問うことができるということです。

練習問題: 「問う」という行為を解明する

ここで、暇な人に向けて練習問題的に書いておきます。テーマは、「問う」という行為を解明することです。あなたの選択肢は、2つあります。

1. 自己流で解明する。
2. 前述のアホみたいな手順を使う。

前述の手順を使う場合は、以下のような問いが生まれる可能性があります。

  • 「問う」という行為は、どのような要素から構成されるでしょうか。また、その部分要素を考えていくことはできるでしょうか。
  • あなたは、何を基準に「問う行為」の要素を選択するでしょうか。それらの要素の間で、変換規則を考えられるでしょうか。
  • 列挙した要素間で関係性を見いだせるでしょうか。あるいは、どのようにして、それらの関係性を実験によって確かめられるでしょうか。その関係性を数理的に示すことができるでしょうか。

Link : https://yugenmugen.blogspot.jp/2016/07/blog-post_13.html

--

--