サイエンスアゴラ2009(1日目)

サイエンスアゴラに行くのは今年で2回目だが、去年に比べてワクワク感が低いのはなぜだろうか?慣れたからかもしれない。あるいは、ブースの数や、企業の出展が減ったのかもしれない。
 
でも、たぶんそれだけではない。来場者が少ないのだ。
 
今年は、1日伸びた分だけ拡散して、薄まったのかもしれない。
 
1. Art, Brain & Communication! ―芸術と科学の接点―
 
そんな第一印象を引きずったまま、予約していた「芸術と科学の接点」の会場に向かう。会場の場所がブース群の奥の方でわかりにくかった。指定通り5分前に行くとガラガラ。予約要らなかったんじゃないの?でも、始まる直前には会場も少しずつ埋まり始めた。
 
会場が暗くなり、絵の具を塗りたくったような抽象的な映像が、大音響とともに流れ始めた。やがてそのいろいろな色の中に人らしきものが浮かび上がっては消えていった。
 
映像の上映が終わった後、映像の作者である高木氏と、東大准教授の坂井氏が登場し、作品の解説を始めた。この映像は、もともと人間の誕生をテーマにしたものだったのが、細胞を震わせるような映像になったのだという。説明を聞いて、素直にとても納得した。
 
次に坂井准教授による、脳の仕組み、特に「わたし」とは何なのか、というプレゼンが行われた。脳は結局のところ細胞の塊で、知覚と運動のインターフェースに過ぎないが、その「背後」にあると思われる自我、すなわち「わたし」とは何なのだろうか?脳科学の奥深さを垣間見たような気がした。
 
そこから2人のトークは、感覚の広がりの話や、科学と芸術の共通点、あるいは科学者と芸術家の共通点といった話に発展していった。大変興味深かったが、結局両者は、何か興味のあることに集中してどこまでも追い求める者であるという、既に良く知られたことを再確認したに過ぎないように思われる。ただ、トーク中に流された高木氏の映像はとても美しく、これが見られただけでも来て良かったと思った。
 
トークの後、フロアからたくさんの質問が出るのかと思っていたら、意外と質問は少なかった。私も含め、捉えどころがない、というのが多くの人の正直な感想だったのではないか。
 
ここからは私の感想だが、科学と芸術というのは、もともと同じ「アート」であった。それらが似ているというのはある種の必然であると思う。この両者は点というよりは面で接しているように思われ、他にもいろいろな切り口で見ることができると思うし、実際にそういう試みがいろいろと行われている。サイエンスアゴラに参加している、そういう人々を一同に集めてみるのも一興かと。
 
2. 「地球に生きる素養を身につけよう!:「地球を好きになる」教育の勧め」シンポジウム
 
前述のシンポジウムの後、ポスター展示などを見て歩き、このシンポジウムに参加した。日本学術会議の主催、かつ、プログラムに「オススメ」マークが付いていたにもかかわらず、参加者は20数名程度とかなり少なかった。裏でやっていた「科学の鉄人」や「社会性の脳科学」などに人をとられたのか、あるいは地球科学に興味のある人の数が絶対的に少ないのか。ともかく、地球科学が専門の私としては、裏のイベントに興味を惹かれつつも、どうしても外すことのできないシンポジウムであった。
 
しかしながら、出演者は、司会の北里先生(JAMSTEC)、パネラーの中田先生(東大地震研)、碓井先生(奈良大)、斎藤先生(生命の星地球博物館)、佃先生(産総研)、そして私の敬愛する平先生(JAMSTEC)という地球科学界の重鎮揃い。日本学術会議主催というだけのことはあって、やや重すぎる感もあるが…。例えば、このテーマであれば、現場の理科教師などがパネラーにいても良かったのではないかと思う。
 
最初に各先生の講演。中田先生からは日本の地震・火山の状況と、火山と気候変動の関係について。碓井先生からは地理情報システム(GIS)の教育への利用について。斎藤先生からは歴史上の単位と地球に対する認識の変遷について。自他共に認めるジオパークの伝道師である佃先生からはジオパークの現状について。平先生からは富士川の砂を例にした「地球を好きになる」模擬授業が行われた。その後、全員でパネルディスカッションが行われた。

「素養」という意味では、碓井先生と他の先生方やフロアとの間に若干のギャップがあった。碓井先生はかなり多くを求め過ぎている、という指摘があった。実際にGISを使いこなすには多くの知識がいるだろうが、それを高校までの教育に求めるのは現状では難しい。平先生などからは、地球に興味をもったときにそれを自分で解いていくための「ミニマム」な素養は必要という意見があったが、何をもって「ミニマム」とするのかという点について、会場の意見は一致しなかった。フロアの理科教師からは、そもそも高校には地学の教師も授業もほとんどなく、教える余裕など全くない、という予想された反応があった。また、子供時代に地学を好きになるきっかけが少ないのではないか、という意見もあった。
 
やはり、高校までの「理科」と大学・研究機関の「科学」には、まだまだ大きな隔たりがあると思わずにいられなかった。平先生なども、ようやく両者は対話を始めたばかり、といった趣旨のことをおっしゃっていた。なお、教育の現場が地質標本などを容易に借りられるようなシステムも検討中であるとのこと。
 
ここからは私個人の意見だが、高校で地学を開講することに必ずしもこだわらなくても良いのではないか。開講したとしてもごく一部の学校の、選択科目の一つになるだけだろう。それでは効率が悪い。それよりも、既存の物理、化学、生物に地学的な要素を盛り込むべく画策した方が現実的ではないだろうか。物理の例題として天体の運動や地震、気象などを扱うことができるだろうし、化学では岩石や鉱物、生物では古生物学を入れることができるだろう。大学で地球科学を学ぶためには、高校の地学以上に数学、物理、化学、生物の知識が必要である。実際、私も高校では地学は履修していないが、それが大学での学習・研究の障害になったことはない。なぜなら他の誰も履修していないのだから。高校までの期間は、専門知識よりも興味を持つことの方が重要だと思う。例えば野外活動でジオパークを活用するなどして、地球に興味を持たせるための配慮があると良いのではないか。

http://www.jst.go.jp/csc/scienceagora/reports/

ブログ「たまには地球(した)を向いて歩こう。」2009.10.31より再掲

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