サイエンスアゴラ2010(2)

21日の午前は、聴きたい講演がいろいろとあって迷ったのだが、結局「大型研究予算のあり方 ~ 市民・科学者の関与を考える」を聴きに行った。大型研究予算がどうやって決まっているのか今までもやもやしていたからである。昨年、事業仕分けで取り上げられるまでは、巨額の予算が投入されているにもかかわらず、一般市民はそれほど関心はなかったのではないだろうか。開会挨拶では、日本学術会議の金澤一郎会長が今までの大型研究予算が不透明なプロセス(政治家の関与を含む)で決まってきたことを強調し、これからは透明性の高いプロセスで決めていきたいというお話をされた。基調講演では、日本学術会議 科学者委員会 学術の大型研究計画検討分科会 委員長の岩澤康裕先生から、日本学術会議での検討状況について説明があった。これまで大型施設を使った研究が行われてきた分野(主に物理、エネルギー、宇宙、地球など)に加え、近年個別研究の枠を超えた大規模研究がおこなわれるようになってきた人文・社会分野や生命・環境分野について、トップダウンとボトムアップの区別なく研究者コミュニティ自身でヒアリングし、マスタープランに載せるプログラムをピックアップしてきたということである。これまでは研究者自身がどのように大型研究予算が決まるのかを知らなかったというのである。次のパネル討論では、市民の立場の方も加わっての議論となった。
 
 パネリスト
 岩澤康裕(電気通信大学教授、日本化学会会長)
 川本裕子(早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授)
 倉持隆雄(文部科学省研究振興局長)
 永宮正治(J-PARCセンター長、日本物理学会会長)
 司会
 保坂直紀(読売新聞社 科学部次長)
 
議論は最後まで収束しなかった。そもそも研究者も今まであまり関与できなかった予算決定プロセスにようやく学術会議が加わるようになったばかりの現時点で、市民の視点も議論に加えるというのは、もちろん正しいことではあるのだが、やや性急ではないかという印象を持った。こういう討論が行われたこと自体は大変良いことだが、もう少し論点を整理してから討論した方が良かっただろう。また、市民の立場から「巨額の研究予算に対して経済や生活にどう役立つのか説明すべきではないか」という問題提起があり、これに対して研究者側から「科学は文化でありすぐ役立つものばかりではない」というような答えがあった。もちろん「科学を文化に」というスローガンのもとに活動している方々もいるし、それはそれで良いのだけれど、こういう文脈で安易に使っていい言葉なのだろうか。なんか、そこで思考停止してしまっていないだろうか。私は科学は「文化」以上の「何か」だと思う。その「何か」を具体例を挙げて説明すべきではないだろうか。例えば、宇宙を支配する物理法則を調べて何になるのかと問われたら、それは実は素粒子スケールの物理法則の解明にも関係することで、素粒子を理解することは物質の性質を理解することにつながり、産業や生活の役に立つ物質・材料の開発につながるかもしれないのである。もちろんこれらはすべて研究者から見れば取るに足りない「かもしれない」レベルの話でしかないだろうが、そういう説明でも、「文化」というだけでそれ以上何も説明しないよりは納得してくれる市民は案外いるような気がするのである。
 
最後に、サイエンスアゴラ全体について、もう少しだけ要望を。サイエンスアゴラも回数を重ね、議論されている話の中には前にも聴いたことのあるような話が多くなってきた。何というか、「内側の人」だけで話していないだろうか。「外側の人」を呼ぶ場合でも、あまりにも畑違いの人はそもそも議論が成立しないから呼んでもあまり意味がなく、結局「多少仲良しの外の人」くらいしか呼べないのではないだろうか。それならいっそのこと、海外の人を呼んではどうだろうか。日本人同士で話していては出てこないような、思わぬ話が出てくるかもしれない。後援を見るとブリティッシュ・カウンシルが入っているのに、そういうイベントがないなあと思ったのでちょっと書いてみた次第である。

http://www.jst.go.jp/csc/scienceagora/reports/2010/archive/

ブログ「たまには地球(した)を向いて歩こう。」2010.11.21より再掲

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.