デザインとは言語ゲームを展開させる営みではないか

つい最近読んだ橋爪大三郎さんの「はじめての言語ゲーム」という本を読んで、かなり感銘を受けたので久しぶりにつらつらと綴ろうかなと思います。「言語ゲーム」というのは、ヴィトゲンシュタインさんというウィーン生れの哲学者が講じた思想なのですが、読んでてこの思想がまさにデザインという営みそのものなのではないかと感じました。

そもそも我々にとって言語が持つ意味とは

僕たちは今日本に住み、普段当たり前のように日本語を使っている。しかし、少し考えるとなぜ、当たり前のように言葉を使ってやりとりをできるのか?という問いにぶちあたる。「りんご」といえば誰もが赤くてつやつやしたあの果実だよね、って1つのイメージを思い浮かべ、意味が伝わる。なぜ伝わるのか?と言っても非常に説明は難しい。口頭で発される「りんご」や、このように記述される「りんご」は、記号として意味を包括していないと成り立たない。

しかし、僕たちは赤ん坊であったときはおそらく「りんご」が何を指すのかわからなかった。そこで母親が、複数の赤くてつやつやした果実を目の前に差し出し、これはりんごと言うんだよ、これもりんごと言うんだよ、と説明する。そうすればそれが「りんご」なのだ、と僕はそのうち理解する。それを「りんご」と呼ぶ、というルールを理解して、そのようにふるまう。

これが「言語ゲーム」と呼ばれる考え方です。言語ゲームは、ルールに従った人々のふるまいの一致と、ヴィトゲンシュタインは定義しています。上の例では、赤ん坊と母親は赤いつやつやした果実を「りんご」と呼ぶというふるまいをする、言語ゲームを展開しています。

こう考えると社会は様々な言語ゲームが展開されていると考えられます。葬式のときには、喪服を着るという言語ゲームがある。7歳になったら小学校に通いはじめる、という言語ゲームがある。など、あらゆるルールに従ってふるまうことで、それらが意味付けされる。これが言語ゲームという思想で、全ての言語ゲームには意味と価値が備わっています。

また、重要なのはそれぞれのゲームには内と外があるということ。わかりやすい例を挙げると、 JKはよくプリクラを撮ります。異様なほどの頻度でプリクラを撮ってグループで共有する(今のJKがどうかは知りませんが僕の時代はそうでした)。おそらく、そこには彼女たちの中で暗黙的に、私たちは仲が良いんだという証明、このグループはイケてるよね、という証明をするためにプリクラを撮るというルールがあり、それに従ってふるまう。それが彼女たちにとって大きな意味をもち、価値を持つ。でも、おそらく60のおじいちゃんにはプリクラを撮るということに価値は見出せない。これはJKがプリクラを撮るという言語ゲームの中にいて、それ以外はゲームの外にいることを示している。

ここにデザインがどう関わってくるのか

デザインという営みには様々な解釈がなされると思いますがそれを論じると長くなるので、ここでいうデザインとは、新しい価値を生み出すことと定義しておきます(実際に今僕が携わっているアプリやwebサービスなどの領域は、なんらかの価値を届けるためにサービスを創っているので) 。そして、新しい言語ゲームを展開させるというのはデザインする行為そのものと言えると思うのです。

簡略化して書きますが、概ねのデザインプロセスは、ある人々の行動を観察して、課題を見抜き、それを解決するアイデアを考えていく。多くの棄却と再構築を通して、アイデアが正しければ、人々は課題を解決でき、アイデアに新たな価値を見出しこれまでと違った行動をとる。

これを言語ゲームという視点で捉えると以下のようになるのではないかと。

ここに、ある課題を抱えた特定の属性Aという人々がいるとします。Aは、達成したい目的を抱えていますが、現状はその人たちはそれをするのにBというふるまいを行っている。つまり、Aは目的に対してBというふるまいを行う言語ゲームを展開している。それを僕たちデザイナーは、ゲームの外側からどのようなルールに従ってふるまいが行われているのかを理解する。そして、目的を達成するにはBよりもCというふるまいを行ったほうがいいのではないか、と考える。つまり、目的に対してこれまでと異なるCというふるまいをとる、新しい言語ゲームを展開するのが僕たちデザイナーが日々尽力していることなのではないか、と思うのです。

これには、前提として、人々つまりユーザーは独自の言語ゲームを展開している、つまり僕たち創り手とは異なるということを認めることから始まる。いわゆる人間中心設計の思想に近しいのではないかと。


特に実務には役に立たない勝手な見解を述べてきましたが、総じて思ったのは言語っていうのは単に話すとか、そういうレベルじゃないんだなあと。よく共通言語って単語が今いる会社でも出てきますが、あれはふるまいのことなんだと。

ということで、今年も終わります。今年は人生で一番本を読んだ年になったので、年末までに読んで良かった本もまとめようかな。そして来年はもっと考えていることを発信していく年にしたいと思います。