初夏の思い出

Machico
5 min readJul 11, 2015

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こんにちは。

今日は良い天気ですね。久しぶりに太陽を見た気がします。

少し暑いですが、やっと7月らしい天気になってうれしいです。たまった洗濯物、ベッドのマットレス、洗った靴を外に干せるし、開けた窓からカラッとした風がリビングを抜けてくれるのでとても良い気分。

今日のような初夏の晴れた日、暗いリビング(もしくは居間)の大きな窓から外を見つめていると必ず思い出す光景があります。昼下がりの電気がついていない暗い居間でおじいちゃんとおばあちゃんが、若葉の光であふれた窓を背にお茶をしている場面です。

それは、私が生まれて初めて「幸せ」だと実感した瞬間でした。そのときの光景は今でも覚えています。当時私は高校1年生。日付はわかりませんが、5月中旬、土曜日の昼下がりでした。

高校入学後、私が入部した吹奏楽部はお盆と正月以外土日も休みなしのハードな部。その日は土曜日でしたが、午前中だけ部活に行っていました。部活後、家に帰り「ただいま」と声をかけたのですが返事がないので、誰もいないと思った私は庭を眺めながらのんびり、というよりは昼寝をしようと居間に向かいました。

実家の庭は広く、カエデやイチョウ、サクラ、ウメ、ビワの木などがたくさん植えてあったので若葉の季節になると、庭に面した居間の大窓は黄緑色の光でいっぱいになります。また、家の中が暗い分庭が際立ち、窓が大きなキャンバスのようになるので、1人展覧会のような贅沢さを味わえます。私は季節限定のこの風景が好きでした。

誰もいないと思った居間に行くとおじいちゃんとおばあちゃんがお茶をしていました。外があまりにも明るいのでそれを背にした二人の表情が見えず、黒い影がゆっくりと動いている様子が私には現実離れして見えました。

ちょっと美しすぎるのですが、こんな色合いのシルエットでした(STUDIO VCT)

ぼーっと立っている私に気付いたおじいちゃんおばあちゃんが「○○ちゃん、おかえり」「おいしいおぜんざいを3つ買ってきたからいっしょに食べよう」と声をかけてくれます。本当にそれだけだったのですが、なんだか胸の下からノド、あご、口、目の周りにぎゅっと力が入って、どうしようもない気持ちになりました。

大好きなおじいちゃんとおばあちゃんといっしょに暗い居間で、庭を眺めながらプラスチックのケースに入った冷たいぜんざいを食べる。大人になった今ならともかく、当時の私にとってそれは特別でも、なんでもないことでした。ただ、その瞬間「あ、私幸せなんだ」と理解したのです。小学生のときから何度も教科書で出てきた「幸(しあわ)せ」というワードを人生で初めて自分のために使った瞬間でした。

しかし、その年の7月20日、祖母がくも膜下出血で亡くなります。初の身内の死、しかも大好きなおばあちゃんであったこともあり、あまりのショックで夏休み開始1週間、お通夜とお葬式以外引きこもり、部活の大会メンバーから外されるという不幸が続きました。

ただ、最後に最高の思い出を残してくれたおばあちゃんには本当に感謝しています。未だにあの日以上に幸せだと感じたことはありませんが、初めて「幸せ」を実感したその日から、友達と最高に楽しい時間を過ごしたり、旅行をしたり、美味しい料理を食べたりと、「私は今幸せだ」と思う瞬間が一気に増えました。

この体験が私にとってあまりにも衝撃だったため、「幸せだ」と口に出すたびあの日の光景がチラつくようになりました。13年たった今でもです。

いつもはお盆にまとめてお供えものをするのですが、そろそろ命日ですし、せっかくなので今年は早めにお供え用のお菓子を実家に送りたいと思います。おばあちゃんが好きだったつぶあんのおまんじゅう。おばあちゃんがよく食べてたボソボソしたものよりずっと美味しいと思うんです。

今まで何百回と思い出していた記憶ですが、言語化するのって難しいですね。その時の家の中のひんやりした空気が鼻を通る感覚とか、お昼に食べたであろう焼き魚のにおい、ぜんざいの入ったプラスチック容器についた水滴が指にまとわりつく感じ、全て覚えています。それほど強烈に覚えられるできごとはあまりないので自分がおばあちゃんになっても今と同じように思い出せそうです。

何より、このブログを書き始めて2パラグラフ目ですでに涙が飛び出す私。13年たっても涙腺バルブ全開にできるおばあちゃんすごいです。。

そして、あの日、あのとき、おじいちゃんとおばあちゃんも同じように幸せだと感じていてくれたらとてもうれしいです。

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