トークンエコノミーと暗号通貨の矛盾④
さて、「貨幣が貨幣として存在するのは、貨幣が媒介としての役割を果たしているから」という岩井先生の説に戻ります。
まずは、貨幣が共同体とどのように関わっているのか、岩井先生の貨幣論での位置づけ、前提を確認していきたいと思います。
これまでに、岩井先生は、価値形態BとCはどちらが先立つものではなく、お互いがお互いを成立させる、相互依存関係にあり、その循環論法こそが貨幣形態Zであると説きました。
貨幣は貨幣として媒介の役割を果たすから貨幣になるのであり、それがまた貨幣としての存在に影響を与えていると。BとCのどちらが先立つなどなく、存在しているという事実だけがあると。
上記の価値形態の話は、前回までの記事をご参照いただければと思います。もうここまで来たら、さすがに価値形態論からは脱出します。
さて、貨幣が媒介としての役割を果たすということは、貨幣がモノとモノの交換の媒介をする、ということですね。当たり前ですが。
なぜ、貨幣はモノとモノの媒介をするのでしょう。人が、モノを欲し、モノを欲しがる人が、貨幣を欲するからですね。
岩井先生はこのことを、「人間語をもちいれば」と一瞬思考を停止してしまいそうな表現を用いた直後に、「あるモノをすべてのひとが商品のかわりに貨幣として受け入れるのは、そのあるモノをいつか貨幣として手放してさらにべつの商品を手に入れるため・・・」と表現しています。
1ポンド金貨が、いえ、1ポンドの兌換紙幣が、1ポンドの金を含んでいなくても、それが人々に受け入れられるのは、いつか誰かが、それを1ポンドの価値をもつ別の商品と引き換えてくれると思っているから、貨幣として流通するのだといいます。
これは現代に置き換えても同じですね。1万円は今日も明日も明後日も、1万円の価値をもつ商品と引き換えてもらえるから、皆、受け入れ、流通しているのでしょう。
つまり人々は、「自分とは別の誰かが欲するであろう、受け取ってくれるであろう」という別の人の欲望を信じる、あるいは期待することで貨幣が成立しているのだと岩井先生は言います。
そして「この誰か別の人」は2人や3人という単位ではなく、自分が所属している共同体、全員なのです。自分以外の周りに存在する人たちすべての同じ共同体に属する人間が、未来永劫受け取ってくれるであろうことを信じることで、貨幣が成立しているのだとも言います。
それは、「同一の共同体の中で、貨幣が未来に向かって渡され続けていく」ことへの信頼であり、共同体が明日も、明後日も、その先も未来永劫存続することに対しての信頼でもあります。
人は皆、貨幣を認め、それを使用する共同体の中に存在し、その中で貨幣を使用する構成員だというわけですね。
岩井先生は、このことを指して、人々が貨幣を使っているから共同体が存在するのか、共同体が存在するから貨幣が使用されるのか、これもまた無限の循環論法であるといった趣旨のことを言われます。
ただ、貨幣共同体が存在し、その構成員としての人間の集団が存在し、その構成員としてエントリーするものがいれば、退出する者もいるというのです。
ある貨幣共同体にこれから参加したいという意思をもつ人間は、自分の持っている何らかのモノをその共同体にいる人間に渡し、その見返りに貨幣を手に入れ、共同体の一員になると。逆に、共同体から退出したい人間は、自分の持っている貨幣を手放し、与える代わりに、自分の欲しいモノを手に入れ、共同体を退出することができると。
これはすごく面白い話だと思います。
なぜならば、この時代に生きる我々は、意思をもって貨幣共同体を選ぶ、それは可能なのでしょうか。選べるようでいて、選べないというのが答えなのではないかと思います。
次回、もう少しこの貨幣共同体の話を掘り下げ、トークンエコノミーと暗号通貨の話をしていきたいと思います。
ありがとうございました。
