トークンエコノミーと暗号通貨の矛盾⑤
貨幣共同体。それは、自分以外が自分の持っている貨幣を受け取ってくれるだろうという、他の人の欲望を信じることで成立する、ということでした。
貨幣が存在しているから、自分以外の他者の欲望を信じようと思うのか、共同体があるから貨幣が成り立つのか、それについてはもはやどちらでも良いです。
大切なのは、貨幣を握りしめた自分が次に出会うのは、「異邦人」かもしれないということです。
「異邦人」という表現もまた岩井先生の貨幣論の中で異彩を放つキーワードですが、ここでの異邦人とは「貨幣を受け取ってくれない人」のことを言っています。ある貨幣をその人の眼前に差し出しても、「ナニソレ?オイシイノ?」状態になってしまうということですね。
何を言っているのだ。日常の生活で生きていて、そんなことありっこない。皆1万円は1万円の価値を持つと信じているし、実際にモノと引き換えてもらえているではないか。
いつ何時、街角で出会う人が「異邦人」な状態など、ヒヤヒヤしながら生きていかなくてはならなくなり、そんな共同体などごめん被りたいですし、そんなことは起こらない、と思いたくなる気持ちは分かります。
ただ現実に、地球上で今も、ベネズエラで通貨の単位が5桁下がるデノミが実施され、ハイパーインフレが起きています。トルコでも、リラの価値下落が起きていますが、モノの物価が急激に上昇し、貨幣の価値が下落し続けるハイパーインフレは、この地球上の歴史をたどってみれば、幾度となく発生しています。
貨幣が従来の当たり前と思われていた価値を有さなくなった時、それは貨幣が貨幣でなくなる瞬間ですが、貨幣の存在を認めていた貨幣共同体も、存在しなくなってしまいます。最終的には皆が、貨幣から逃げ出すことになる、と岩井先生は言います。
事実、2018年8月29日時点で、国外へと脱出するベネズエラ人は後を絶たないと報道されています。
だからこそ、そういった最悪な未来が降りかかってくることを想像すると、今私たちの周囲で、1万円を1万円として受け入れてくれる共同体が存続している、つまり貨幣が媒介の役割を果たし続けていることは、奇跡なんだと岩井先生は表現されているわけです。
それが無くなってしまう、イコール、貨幣共同体が存在しなくなるわけですから。
ただその貨幣共同体の成立、存続理由に改めて目を向けてみると、皆が皆、貨幣を受け取ってくれるから、というものでしたね。
なぜ、人は貨幣を受け取ってくれるのでしょう。なぜ、今日も明日も明後日も、1万円は1万円の価値があるとされるのでしょう。またそれを問い始めると、岩井先生から、「人々が貨幣を貨幣として使っているということ以外に、実体や根拠など存在しない」と怒られてしまいそうですね。
ですが、目の前の人が貨幣を受け取ってくれる、その人の先にはさらに別の貨幣を欲している人がいて、その先にも存在している・・・それを疑うことなく、当たり前のものとしてしまうのはなぜなのでしょう。
その先のその先のさらに先を見ていくと、何があるのでしょう。これは、岩井先生は恐らくあまり触れていらっしゃらなかったように思います。
突き詰めていくと、「中央銀行の国庫に貨幣がしまわれているから、自分の持っている貨幣は、ゆくゆくはそれと取り換えられると、皆信じているから」ということにならないでしょうか。
確かに、岩井先生のおっしゃったように、貨幣法制説、法律や権威が貨幣の「始まり、起源」であるという見方は神話的で、「貨幣が貨幣として存在していること以外に実体など存在しない」とされるご主張の方が腹落ち感がありますし、実態に根差した平等な考え方のように見えます。
ですが、貨幣が貨幣として存在している理由、人々に受け入れられている理由は、法律があることによる云々という貨幣法制説を超え、「中央」の存在が同心円状に波紋を広げるようにして、私たちの脳裏に知らずのうちに影響を与え、それを皆が信じているのだということを、人々に信じさせているということも実体として捉まえてはいけないのでしょうか。
岩村充先生は、「貨幣進化論」の中で、それをあっさりと「政府への信頼」と表現しました。これを読んで、私は安心して眠りにつくことができました。ただ、別の不安が生じてくることになります。
それは、「中央」「中心」が存在することによる安心が生み出す不安でもあります。
続きます。
ありがとうございました。
