トークンエコノミーと暗号通貨の矛盾⑥
「中央」「中心」が存在することによる安心が生み出す不安、とは何か。
一言でいってしまえば、「人は政府への信頼なしには、生きていけないのではないか」という不安です。
人が持つ欲求の根っこでは、暗黙的に政府を信頼することによって、その共同体において貨幣を存続させているのだとしたら、そうなるのではないでしょうか。
その共同体とは、国家としましょう。
いやいや、そんなことはないという反論もありそうです。
なぜならば、日本にいたって、米ドルは入手できますし、銀行のカレンシー・エクスチェンジに持っていけば引き換えてくれます。別にその自由があるのだから、いちいち国家によって貨幣が規定されている、独占されているという見方は誤りであると。
岩村充先生も、貨幣進化論の中で、日本にいたって米国のキャデラックは乗れるし、USにいてもレクサスに乗れるじゃないかといった趣旨のことをおっしゃっています。確かに、日本でZARAは買えますし、中国でもユニクロは買えます。
それと同じことなのかもしれません。
ただ肝心なのは、日本の至るところで、米ドルや人民元で決済ができるかというと、そうではありませんよね。
日本国においては、日本円を日常で利用する共同体がメジャーで、米ドルや人民元の共同体はマイナーということになります。日本でレジに立っているお店の人も、いきなり米ドルを出されたら、その目の前の人を異邦人扱いするでしょう。
ただ、そうなれば、人は国家という共同体から離れては生きていけないということになります。
いや、もっと正確を期すならば、離れることは個人の自由だが、離れたいと思う時は、すでに信じられる共同体としての機能を果たさなくなっている時で、共同体が成立している以上、何か事情が無い限り、あえて離れようとは思わないはずです。
明日も明後日も周囲の人が自分の貨幣を疑うことなく受け取ってくれる、今日の1万円は明日の1万円であると皆が信じている共同体と、今日の1万円は明日の1万円ではないことが誰の目にとっても明らかな共同体とでは、自らの生活存続にかかるリスクが異なります。
前者の共同体には、違和感なく構成員の一人として居続けよう、留まり続けようと思うでしょうし、後者に留まる時間は、苦痛で仕方ないはずです。一刻も早く逃げ出したいと思うはずです。
両者の違いが、ゆくゆくはバトンが繋がった先にある、国庫というものが信頼の源泉であり、その源泉に対しての信頼度合いであるとするならば、貨幣を成立させることのできる共同体とは国家そのものであり、それを抜きにしては存在しないのではないか、という見方もできます。
そうなってくると、貨幣の成立のためには、その共同体の中の貨幣価値のステービリティ、価格安定性が、何にも勝る優先条件になりえてしまうのではないか、と考えてしまうことは、そんなにおかしいことではないはずです。
共同体を維持するために、貨幣を作り維持し、貨幣を作り維持するために、共同体を作り維持していく、その循環論法を認めるならば、政府という中央が仮に存在しない共同体は、共同体といえるのでしょうか?もっと言ってしまえば、そういった共同体は、人により選ばれるのか?成立し存続するのか?という点が非常に気がかりになってきます。
中央、中心のない共同体は成立するのでしょうか。それは、今まさに暗号通貨の世界で試されています。
次に続きます。
ありがとうございました。
