ソフトウェアエンジニアの教育戦略

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9 min readJun 14, 2018

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私はソフトウェアエンジニアであり、二児の父だ。子どもたちは双方ともに男子であり、心身ともに健康であり、裕福ではないが貧困とも縁遠い家庭に育っている。

長男は現在小学2年生で、次男は幼稚園の年少である。ともにポケモンや仮面ライダーなどのキャラクターを好み、新しいおもちゃを与えられては取り合いの喧嘩をし、休日は家にいるよりも外で遊ぶことを好む、普通の兄弟だ。

子育てに対する信念

私の子育てに対する信念は、『よく学び、よく遊び、社会との礼節ある向き合い方を身につける』ことである。妻の献身と努力に依る部分が大半ではあるが、今の所この信念からズレた子育てにはなっていないと感じている。

信念にも挙げている通り、教育に対しての優先度は高い。より良い人生は教育が作ると考えているためだ。誰しもが知る通り、教育投資というのは費用対効果が高い。受けた教育の水準・中身で、生涯賃金は大きく変わる。また、収入に限った話ではなく、人生の可能性を広げるという目的でも教育は重要だ。

体験的に、子育てにおいて教育を重視したいと考えるようになった側面もある。私はコンピューター・テクノロジーで10年以上生計を立てているが、これは様々な技術の習得が必要な仕事であり、日進月歩で変化を続けている分野でもあるため、日々の学習が欠かせない。学ぶことは仕事の一部であり、仮に学ぶことが嫌いだとすると、成立しなくなってしまう職業だ。

大人になって様々な方と出会い、話をしていくうちに分かったことだが、大人になっても学び続けることは、より良い人生を作る上で何よりも重要なことである。

だからこそ子供のうちに、『学ぶこと』を好きなことにして欲しい。これが教育に対する私の思いである。

教育方針

教育、特に小学生向けの教育に対しては、親の願望が入り混じった、客観性のない感情論中心の教育論が散見されがちだ。私はそういった類の論説からは、距離を置きたい。

私にとっては、(1)教育戦略、(2)個別の事象に対処する上での原則、この2つが整理されていることが教育を行う上で重要である。

戦略は親の手を完全に離れる大学卒業までをゴールにしている。加えて我が家では、12歳と18歳が大きなマイルストンだ。

設定したマイルストンについては、経済的・(親の)体力的合理性から設定した。一般的に、子供の年齢が低いほど、教育の費用対効果は良いとされている。子供の心理的成長についても無視できない。年齢が小さいほど親からの介入に対する心理的抵抗は小さく、自我の確立と共に抵抗は大きくなる。また、経済的なコストだけでなく、親の体力的な負担についても注視すべきだろう。子供が6歳の時点と、16歳の時点とでは、親の体力は大きく異なっている。私は現在30台前半だが、次男が大学受験を迎える頃には50台を目前にしている。

そのため、余裕があるうちに早めに手を打つ、というのが基本的な考えだ。

原則については、子供の行動と成長は予測不能であるため、画一的な教育手法やカリキュラムの有効性は限定的だと考えていることによる。また、常に両親揃って子どもたちに対して指導が出来るわけではないため、指導内容のブレや判断の遅れを防ぐ目的で、判断する上での指針を原則として夫婦で話し、コンセンサスを取るようにしている。

小学校から教育に力を入れる理由

親への負担のみで考えれば、公立中高に通い、大学受験だけに集中するような子育てを行うのが最も負担が少ないだろう。小中学校は学校の授業に加えて、自宅学習で最低限復習するやり方だ。

この場合、塾にかかるコストや私立学校の学費など大きく削減出来るため、子供一人あたり1000万円以上のコスト削減が可能である。特に中学受験をスキップすることによる経済的負荷の軽減は大きい。仮に小3の2月から塾通いしたとして、受験までにかかる通塾コスト及び受験コストは少なく見ても500万円だ。また、私立中高一貫校の学費も非常に高い。学費のボラティリティが学校間で大きいため一口には言えないが、6年間で500万円以上の支出は覚悟するべきだ。中学校に入ってからすぐ塾を辞めれるというわけでも当然なく、学力維持のため塾通いは高校卒業まで続ける必要もあるだろう。

親の体力面の負担で考えると、高校生であれば、一定の論理的思考能力を備えているので、受験勉強に対する取り組みも自分自身の創意工夫でやることが可能だろう。何よりも、取り組む学習内容を親が理解出来るかどうか疑わしいため、子供としても親を頼ろうとは思わない。また、年齢が上がるごと、自我の確立とともに親からの介入を好まなくなる。正常な発達をする過程で必要なことだ。

だが、本当に勉強をする必要が出た際に、本人の学力が不足していたり、親のサポートが難しかったりしたら、どうなるだろうか。高校2年生か3年生の多感な子供と、喧嘩をせずに共通のゴールに向かって走れるだろうか。せいぜい希望的観測止まりだろう。

各種条件(学費や体力、時間などの十分なリソース、親の教える技術が高い、豊富な実績と生徒からの人気のある塾講師のいる進学塾など)が全て満たされると仮定したとき、理想的な教育プランは、小学校6年間の学校以外の学習は、親勉中心に、塾の授業と試験も受けることだろう。

1000万円以上のキャッシュと、数千時間に及ぶであろう親の時間の両方を投資して合格が得られたとして、そのリターンはどの程度のものだろうか。高校受験から頑張ったケースと、中学受験から頑張ったケースとでは、難関大学合格率などの様々な数値で有意な差が出る。出身校別に難関大学合格者の人数をランキングにすると、上位はどれも有名な中高一貫校で、その多くは高校での募集を行っていない。

努力した経験や、やりきったという経験は無論大事だし、仮に希望校が不合格だったとしても学んだことは一生の財産だろう。

教育にまつわる様々な事柄を列挙した。だが、私としてはいい大学に行くことや、難関中学校に合格することが、早期から勉強に注力させる目的ではない

勉強を好きになってもらうため、親の介入がまだ有効な間に手を打つことが、早期に勉強に取り組ませる最大の動機である。

なぜならば、残念ながら現在の学校教育に任せていては、学ぶことを嫌いになる可能性が高いからだ。ベネッセ教育総合研究所が出している統計によれば、学年が上がる毎に勉強が好きだと答える生徒は減少し、小学4年生では66.8%が好きと答えているものが、中学2年生になると36.6%までに減少する。また、半数程度の小中学生は、勉強の上手なやり方が分からないと答えている。

この統計のサンプルには塾通いの子供や、通信教育などを活用した家庭学習を行っている子供も含まれている。それらも含めて、子供を取り巻く現在の教育環境は、学習意欲を年々奪っていく仕組みになっていると考えるのが妥当だろう。

だが、この結果は当然のことだ。人間は誰しも思考のプロセスが異なる。そこに画一的な教育指導やカリキュラムを当てはめたところで、理解度にむらが生じるのは当たり前のことだ。

理解するために必要な解説も十人十色だ。どういった説明が上手に感じるかは、受け手の持つ知識や、興味関心によって異なる。これは大人になって、社会の一員として仕事をすれば分かることだ。マニュアルさえ渡せば、あなたの仕事は誰とでも代わることができるだろうか。

大人はこの事実が体験的に分かっているにも関わらず、子供に対しては画一的な説明・カリキュラム・教材で、『理解しろ』と無理強いする。大人がうまくやれないことだ。子供にできるはずがない。

自主学習にしてもそうだ。親や教師が設定した日々のゴールは、子供のラーニングカーブは無視されている。子供のラーニングカーブは綺麗な線形ではない。いびつで予測不可能だ。親や教師にも、ましては子ども自身にも分からない。課題を淡々と、日々決められた量をやり続けることに意味はあるのだろうか。

勉強が嫌いになる最大の原因は、一人一人に合わせた、『上手な勉強のやり方』を実践できていないことだと私は考えている。現実問題、これを学校教育や進学塾で実践しようと思ってもコストの関係で無理だろう。

だが、親がやる分には可能だ。その子にとっての『上手な勉強のやり方』を、観察と分析を通して親が考え、トライ・アンド・エラーを重ねながら最適解を見つけるのだ。

これが出来ずに、学校と塾の課題と、親が買い与えた問題集・教材を山積みにし、『今日はここからここまでやれ』と命じても、それを楽しんで出来る子供は極僅かではないだろうか。これは、勉強というより作業だ。活発な子供が単調な作業を好むだろうか。

勉強の先にある学友との競争や、志望校の合格といったものを学習モチベーションにすること自体は間違っていないし重要だ。だが本質的な、『学ぶことへの好き嫌い』は、これらと全く関係がない。

冒頭述べた通り、『学ぶこと』を好きになってもらうのが私にとっての信念である。そこで、私の教育戦略では、親の介入が有効な期間までに、学ぶことを好きになってもらう、というのが大上段に来ている。

アプローチ

既に現段階で十分野心的な目標設定だが、子供に合わせた学習を進める取り組みについては、シリコンバレーでは既に実績が生まれている。日本人には全く馴染みがないが、Altschoolという学校がアメリカでは注目されており、ここが唱えるPersonalized Learning(※)は『勉強の上手なやり方』を生徒ごとに発見し、実践していく上でよいアプローチだ。(※ 個別指導塾とは全く異なる)

詳しい説明についてはリンクの記事に任せるが、Personalized Learning自体は、専用のソフトウェアや他者の力を借りずに、親自身で実践することが可能だろう。

Personalized Learningは学ぶことが好きな子供が、好奇心を動機にして、自主性高く学んでいくことで深い理解と、途切れのないモチベーションを維持することが狙いだ。

一方で、日本式の画一化された教育パッケージに慣れきった子供に、いきなりこのメソッドを実践させるのは不可能だろう。自主性や好奇心とは縁遠い教育環境だ。また、多くの子供は、好きな勉強(教科・単元)というものがそもそも漠然としている。テストの点を根拠に好き嫌いを決めてしまっている子までいる。

従って、Personalized Learningをそのまま輸入するのは理想的でない。我が家ではアレンジを加え、最終的に親の言うことを聞かなくなる中学校入学までに自主性を養っていく戦略を取る。これも、小学校から教育に注力する理由の一つだ。

長くなったので今回はここまで。次回は我が家の教育原則について。

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FL4TLiN3

2児の父。ソフトウェアエンジニア。某シリコンバレーベンチャーのCTO兼共同創業者。