雨が降る。『彼』を思い出す。

一昨日の夜中、久しぶりにナイロビに雨が降った。静かに降り落ちる水滴を見ていると、ふと思い出す『彼』がいる。『彼』といえば親しい仲のように思われるかもしれないが、私は『彼』に会ったことはない。名前も知らない。それでも、雨や水をきっかけに、何かの拍子に思い出すことがある。

もう五年も前のことだろうか。私は当時家計調査のためケニアのリフトバレーと呼ばれる地域のある農村で調査を続けていた。家々を見つけては所得や消費、通学や健康などに関する情報を聞き取り、それを村にある全ての世帯で行っていた。雨季とはいえ昼は大地がカラカラに乾き、一度雨が降り出せば長靴が必要になるほど地面がぬかるんだ。高地の激しい天候の変化に振り回されつつも、私とリサーチパートナーは着実に調査を進めていた。

昼下がりになっても珍しく雨の降る気配のない、暑い日だったことを覚えている。カンカン照りの太陽を仰ぐ。思わずバッグからペットボトルを取り出し、勢いよく水を飲んだ。農村はエリアによって密集具合は異なるものの、多くの場合畑や世帯当たりの土地が大きく、世帯から世帯までの距離が長い。そのため、歩く距離も長くなる。その日はこれまで歩いていなかった村の端にあたるエリアを調査していた。

道を歩いていると、とある世帯を見つけた。庭にメイズが干されており、ヤギが気だるそうに日陰で休んでいた。大きな石に高齢の女性が腰かけており、メイズの選別作業を続けていた。メイズの中身には変色したり発育が不十分なものもあるため、この地域ではそうした不良のメイズは家畜に食べさせている。

いつものように挨拶をして、手短に調査の説明を行った。すでにこの村ではそれなりに調査を続けていたので、私たちのことは隣人から聞いていたらしい。意外なほどスムーズに調査許可を得ることができたため、質問票を広げて空白に回答を書き込んでいった。

ある項目のところで手が止まった。日常で使われている水をどのように入手しているか、という項目だった。この地域ではおそらくケニアの多くの農村部と同じく、水の入手に苦労をしていた。井戸があれば良いほうで、雨水や水たまりに集まった水を大切に保管して使っている世帯も少なくない。念のためと付け加えられた『水道』という項目に、彼女はYESと答えた。

「本当にこの世帯では水道があるのですか」

思わず彼女に再度問いかけた。その問いはほとんど「いや、この村に水道はあるはずがない」と言っているようなものだった。しかし、この村では車を所有しているミドルクラスの世帯でさえ、水道を利用していなかった。この世帯では車はおろか、細々とした農業で生活を支えている。驚きを顕わにする私に女性は手招きをして水道があるところまで案内してくれた。地面から突然生え出しているように、蛇口が確かに存在していた。水質を確認するため許可を得て蛇口を捻る。勢いよく吹き出す冷たい水を少しだけ口に含んだが、特に飲みにくい感じはしなかった。

「正直に言えば、驚いています。他では水道を利用している世帯はなかった。この村でなぜあなたの世帯だけ水道を利用できるのですか」

女性は少しだけ逡巡した後、訥々とこんな話を語ってくれた。

彼女には息子がいた。この家庭では天候や季節に左右され、水に困ることが少なくなかった。母親に水のことで苦労させないようにと、その息子は懸命に働き、何とか水道を敷こうとした。ようやく水道が完成した後、過労がたたってその息子は亡くなってしまった。数年前のことらしい。

「水道を作ってくれてとても嬉しいです。今では簡単に水が手に入ります。でもね…」

言葉の先は続かなかった。ただ、深いしわが刻まれた顔で、穏やかに笑顔を浮かべるだけだった。どこか疲れがみえる、微笑んでいるようにも悲しんでいるようにもみえる、見覚えのある表情だった。

私には『彼』が本当に水道を敷いたのかは分からない。一度敷いた水道を今でも利用できるものなのか。しかし、現に水道はここにある。『彼』は命と引き換えに彼女のために水道を与えた。彼女は、水を得て、彼を失った。

リフトバレーから遠く離れたナイロビで降りしきる雨を見て思った。この水に命をかける価値がどれほどあるのだろうか。私にとってはどこまでいっても水は水で、蛇口を捻れば当たり前に出てくるものとしか捉えられない。水がなければ生きていくことはできない。しかし、『彼』がいなければ彼女の人生は生きているといえるのだろうか。雨や水を見るとふと『彼』のことを思い出す時がある。答えは未だ見つからない。