ロバート・フリッツの構造思考の理解のために

松下正嗣
9 min readOct 8, 2018

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9月末、初来日した作曲家・映画監督であり、マネジメントコンサルタントでもあるロバート・フリッツ/ロザリンド・フリッツ夫妻のワークショップ、コンサルティングを受けてきた。

本は何冊か読んだことがあったが、中々理解できない、というより、大したこと言っていない、という印象しか持てなかったのだが、今回ワークショップを受けて大きな感銘を受けた。

自分自身の理解を深めるため、彼のメソッドと自分が本質を捉えきれなかったポイントについて書いておく。

ロバート・フリッツについて

簡単な経歴はこちら。組織開発や人材育成業界の人間にとっては、学習する組織で名高いピーター・センゲが大きな影響を受けた人物として名高い。

実は彼のメソッドは、ある程度マネジメントの勉強をしていたりすると、どこかで聞いたことがあるような印象を抱く。自分もそう思っていた。しかし、実際に生身のロバート自身から学んだ末、彼のメソッドはかなり独特の質のあるものであると捉えるようになった。その点についても書いていく。

ロバート・フリッツのメソッドの表面的理解

上に挙げたチェンジエージェントさんの解説にあるように、ロバートのメソッドの肝は「構造思考」である。物事の振る舞い、パターンはその根底にある構造に規定されている、というものだ。構造が振る舞いを決めるメカニズムが緊張解消システムだ。構造が緊張を作り、それを解消する。ロバートはよく、このメカニズムを引き伸ばされたゴムバンドが元に戻ろうとする力に例える。(それが組織や個人の人生だとどうなるの?というのはひとまず置いておく。)

そして、構造には、大きく2種類ある。前進構造と揺り戻し構造。多くの組織は、揺り戻し構造にある。揺り戻し構造では矛盾する複数の緊張解消メカニズムが存在し、葛藤が起こる。だから、成果が台無しになってしまう。集権化で成功しても、それをおじゃんにして分権化に揺れ動く。だから構造を変え、前進構造にすることで成果が成果を生む循環が生み出される、と。

こういった説明を本で読んだ自分はこう思った。

「ああ、構造ね。知ってる知ってる。構造主義とか知ってるし、社会科学でもよく言われているよね。じゃあ、具体的にどうやって構造変えんの??」

ロバートの本でよく出てくるのは、構造的緊張チャートだ。

まず、

①目指す成果を定義する。

②成果に対する現状を認識する。

この二つの間に、緊張が生まれる。それを解消するのが行動だ。それをチャートにしたのが構造的緊張チャートだ。

最初の僕の感想は

「うん、As-Is/To-Be分析とか、ギャップ分析だね。これで構造変わんの?というか構造関係なくない??この手のやつ散々やってきたし、単純にこれやって上手くいくんなら誰も苦労しなくない?

個人に適用する場合もコーチングとかでは、誰もがやるようなことで、ビジョンを描いて、それを実現させるやつでしょ?

というか、構造どこいった?もっとシステムダイナミクスみたいな複雑な分析必要じゃないの???」

ワークショップを受けて、こうした感想はまるで的外れだということが分かった。まだ、研究/練習中ではあるが、どうやって理解したかを書いていく。

より深い理解へ

自分の理解が変わったポイントはロバートのいう「構造」の理解だった。ロバートは構造や緊張解消システムについて下記のように言う。

・感情的葛藤や不安などのような心理的なものではない

・メタファーではない

・エネルギーをもつ、物理的なものである。

僕は当初は無意識に心理的、もしくは抽象的メタファーだと思い込んでいたと思う。

ロバートは緊張解消システムについて次のような例を出す。

・引き伸ばされたゴム→縮む、

・のどが乾く→飲む、

・音楽(例えばベートーベンの運命のダダダ→ダーン)

・映画における正義と悪→悪が成敗される

ワークショップを受ける前の自分は、これらの例は全て単なるメタファーであり、本質的にゴムバンドと音楽や映画の筋書きが同じものとは捉えていなかった。だけど、多分、ロバートは言葉通り、これらすべてをエネルギーをもつメカニズムという意味で本質的に同じものだと捉えていたと思う。

芸術家の目

ロバートは芸術家として教育を受け、現役の芸術家だ。彼のメソッドは彼が公言しているとおり、芸術家の創作プロセスを後付けで言語化したものだ。

よく言われているので知っている人もいると思うが、画家の最初の訓練はあるがままにものを見る、ことだという。通常我々はあるがままにものの形や色をみることができていないので、上手く形や色を描くことができない。芸術家は、よく通俗的に考えられているように、情緒的、主観的、独創的に世界を観るのではなく、一般人より客観的に精緻に世界を見ることのできる人たちだ。

芸術家が世間とうまくやれないことが多いのは、世間にいる我々がフィクションの世界しか見えてないのに、現実を見てると思い込んでいることに耐えられないのではないかと思う。

芸術家は構造もみる、そして、その構造を創り出す。芸術として成立する構造は、客観的なのだと思う。

演奏家がどんなに情緒豊かに感情を込めて演奏しても音程をはずしていたら、それは伝わらない。

役者がどんなに主観的な感情を創り出して内に秘めていても、そこに精緻な想像上の状況が存在しなければ、演技として成立しない。

厳密な意味での物理とは違うという意味で、おそらくゴムと音楽の構造は異なるとはいえるだろう。だけど、単に観念的な構造ではなく、現実に芸術として成立する構造という意味で、外界に影響するエネルギーをもつという意味で、ゴムと音楽の構造は等しい。

組織や人生において、ロバートは構造を発見し、構造を変えよ、という。成果を定義し、現状の現実を見ろ、と。それが緊張を、エネルギーを生む、と。

この話には前提がある。我々が本当に現実をみている必要がある、ということだ。我々が本当に望む成果ではなく、望みたい成果だったり、抽象的な成果だったり、現状を現実ではなく、見たいと望む現状だったり、抽象的な現状(例えば、組織にがんじがらめになっている!のような)をみたと錯覚していると、構造的緊張は生じない。

そして、もし、我々が現実を芸術家のように客観的にみることができたら、構造を変えることは、ロバートのいうシンプルな方法で可能なのだと思う。実践は難しいため、規律と訓練がいるが、それができているかできていないか、が現実をみる能力があればできる。

僕がワークショップに行く前に構造的緊張チャートをみたり、試してみたときに感じた不満は、結局そこに緊張が、エネルギーが発生する、という実感が持てなかったからだ。それは現実を見ることができていなかったからだと今は痛感している。今はチャートを書けば、実現に向けて自然に体が動いていく実感がある。

絵で考える

現実をみるためにロバートが教えているのが、「絵(picture)で考える」というメソッドだ。

人の話を聞いたり、議論しているとき、それを絵にする。これは自分も当初勘違いしていたのだが、ビジュアル思考、とは違う。絵とは、写真や映像の意味で、図ではない。頭の中で映像を流すのだ。抽象化してはいけない。我々は映像として考えることはほとんどしていない。どっかで抽象化する。過去の記憶と結びつける。

ロバートのいう絵/映像は客観的だ。他人と議論の余地なく共有できる。余談だが、裁判を見学したことがある人は分かると思うが、刑事事件の裁判等でも、検察は具体的な映像として成立するように立証する。

藪の中、ということが成立するのは、映像が断片的だからだ。完全な映像が再現されればそこに複数のものの見方が成立する余地があることは少ない。防犯カメラに犯行の一部始終が録画されている場合、その事実に疑いはないだろう。

ロバートは、絵で考えれば、構造はそこに見えるという。現実に行動している映像があればそこに人を動かしているものは見えるのだと思う。

例えば、下手な役者が、水を飲む演技をしたとして、我々はそこには演じられていない台本と演じる役者、という構造を見て取ることが容易にできるだろう。要は、あ、わざとらしい芝居だな、ということだ。

熟練の役者が水を飲むとき、そこには、のどが渇いた人間と水という構造があることが見えるだろう。

1枚の絵は、万の言葉に匹敵する

One Picture Worth Ten Thousand Words

ロバートとロザリンド夫妻は、ワークショップ中、徹底的に現実に生きることを教えてくれた。それは自分がいかにフィクションの世界に生きてきたか、ということを突き付けられた体験だった。

ロバートの著作はこちら

自意識(アイデンティティ)と創り出す思考

その他英語書籍

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松下正嗣

ソフトウェア・サービス開発組織における人材育成、リーダーシップ、組織開発等々におけるアイデア集。会社:https://www.ander-prime.com/