SaaSの顧客セグメントの広げ方とイノベーションのジレンマ

Masayuki Minato
8 min readJul 25, 2017

SaaSに代表されるようなB2B向けサービスを展開する上で、顧客セグメントの広げ方(いわゆる山の登り方)は資金の少ないスタートアップにとって、極論すると生死を分かつ程、大きな戦略判断になる。

その判断において、エンタープライズ(大企業)、それともSMB(中小企業)から山を登るか?は1つの顧客セグメントを切る軸として重要な判断軸となる。なぜなら、(超一般化すると)セールスサイクルや獲得コスト、プロダクトの難易度等において、エンタープライズとSMBは違う生き物だからだ。当然のことながら、狙う地域、市場の構造、競合プレイヤーの存在、プロダクト特性によって異なるが、大まかなこの2つの生き物の違いを理解した上で、戦略を考えることは非常に意義のあることだと考える

そこで今回は、日本の市場全体、そして一般的なエンタープライズとSMBの違い、それにより発生するSaaSの”イノベーションのジレンマ”についてTomasz Tungus氏らの記事等をベースに考えたい。

日本の市場構造の全体像

まずは日本の市場構造の全体像をエンタープライズ(大企業)とSMB(中小企業)に分けて、さっとおさらいしよう。

GV独自作成

まず企業数ベースで言うと、日本はSMBが99.7%を占め、特に小規模がそのほとんどを占める小企業大国であることはご案内の通りである。しかし、SaaSはアカウントベースでの月額課金であることを踏まえ、従業員数で見てみると、エンタープライズは全体の約30%、SMBの中でも中規模が約50%と市場の見え方が変わる。一方、どこかお金を持っているかを付加価値総額で見てみると、エンタープライズが大きなお財布を持っていることが判る。

まとめると、社数では小規模(SB)、従業員数では中規模(MB)、お財布の大きさではエンタープライズというのがざっくりとした日本の市場構造だ

SaaS視点でのエンタープライズ vs. SMBの違い

次にSaaSスタートアップの視点で見た時に、エンタープライズとSMBの一般的な違いについて、Tomasz Tunguz氏の記事をベースに以下に示す。

御覧頂いて判る通り、資金の少ない創業初期のスタートアップにとってSMBから登る方がいくつか有利な点がある。(以下)

1.初期の売上を立上げがしやすい
SMBの方が意思決定が早く、セールスサイクルが短いので初期の売上を作りやすい

2. 顧客獲得コスト(CAC)が低い
SMBの開拓において、顧客社数も多く、リーチしやすい。それに加えて、セールスチームに経験豊富な、単価の高いアカウント・エグゼクティブ的な営業マンは必要ない

3. 必要最小限のプロダクト(MVP)を早く作りやすい
セールスサイクルが早いので、プロダクト開発へのフィードバックももらいやすい。その上、初期の売上をプロダクト開発の重要な資金源にすることができる

4. 資本効率が良く、少額の資金で進められる
1–3に関わることだが、早期にエコノミクスが回しやすく、少額の資金で進めやすい

そのため、Salesforce.com、Hubspot、Box、Zendesk、DocuSign等、数多くの成功したSaaS企業はSMBから入り、その後エンタープライズ向けに拡大する”Up marketアプローチ”を取るケースが多い。(但し、領域や時勢によって例外も多数あることは忘れてはならない。HR TechのWorkDay等は初めからエンタープライズ主体で拡大したが、ドットコムバブルの時代で資金調達環境が良かったためだと考えられる。)

(参考) 対エンタープライズ vs. 対SMBで必要な営業体制

エンタープライズとSMBでは必要な営業体制にも違いがあることは上記でも触れたが、これについてPacific Crestが行っている世界336社が参加しているSaaS企業の統計から説明したい。

契約額サイズの小さいSMBの場合はインサイドセールスやネットでの販売を担当するマーケティングが主体に、エンタープライズの場合、手厚いアカウント直の営業が一般的な違いだ。契約サイズと企業規模は1対1には結びつかないので、粗い議論だが、大まかな求められる体制の違いは理解頂けると思う。

SaaSのイノベーションのジレンマ

SMBから登った場合、SaaS企業が成長をする途中で陥りやすいワナが存在する。それがいわゆる”SaaSのイノベーションのジレンマ”だ。

イノベーションのジレンマは、1997年にHBSのクレイトン・クリステンセン教授が提唱した理論で、本来的には「大企業は新しい小さな市場には魅力を感じず、既存プロダクトの価値や事業体制とカニバリ/相反が起こるため、イノベーションが起こせなくなる現象」を指す。(ここでは、スタートアップが新しい・小さな市場から、古い・大きな市場に行く際の文脈で使わせて頂く。)

この”SaaSのイノベーションのジレンマ”がいかに起こるのか、をお馴染みのSカーブを見ながら簡単に説明する。

・初期はSMBを獲得することで売上成長、プロダクトの磨き込みにより、次の資金調達ができるようになる(A)

・しかし、SMBで拡大していくと、時間が経つにつれSMB特有の高いチャーン(3–7%)が売上成長を上回り、成長が寝てくる(B)

・そこで単価の高く、チャーンの低いエンタープライズに対して、SMB向けに作り込まれたプロダクト、営業体制/アプローチで闘い上手くいかず、売上成長が止まる(つまりB→Cに行けない)

そこで、SMB→エンタープライズの登り方でSaaSのイノベーションのジレンマを回避し、Sカーブに上手く乗るにはA→Bの段階で以下の3つを事前に理解しておく必要があると考える。

1.SMBでの成長の先にはイノベーションのジレンマがあること

2. エンタープライズ向けのプロダクト要件と体制の違い

3. エンタープライズ向けのセールス要件と体制の違い

ちなみにこのSaaSのイノベーションのジレンマを、3のセールス体制を工夫することで乗り越えた事例としてJIRA等のディベロッパーツールで知られるAtlassian社のケースが面白いので紹介させて頂く。

(参考)Atlassian社のFlywheel SaaSモデル

Tomasz Tungusブログより

従来のやり方(左)では、SMBに合わせてプロダクト開発、マーケティングでの量の獲得をした後で、チャーンコントロールと継続的な売上成長のために、エンタープライズ専門のアウトバウンド営業チームを作る。

一方で、Atlassian社のFlywheel SaaSモデルでは全く異なるアプローチをとっている。エンタープライズ専門のチームはインバウンド主体で、upsell/cross sell専門で行い、中堅も同様である。アウトバウンドで新規リードを取ることが唯一許されているのが、SMBのマーケティングチームのみであり、いわゆるハンター/ファーマーが従来と逆転させている。

このモデルにしている理由は、大きく3つあると考えられる。1つ目は、Atlassianのプロダクトがエンジニアやプロダクトマネージャーのように直営業を嫌い、リーチしにくく、顧客獲得コストが高いユーザー向けであることが大きな要因だ。2つ目は、開発者向けツールのような個人ユースからチーム、組織へと拡大ができる、つまりSMB→エンタープライズに自然と広がれるプロダクトであることだ。3つ目は、直営業をガンガン掛けるような競合プレイヤーがおらず、営業勝負の市場で無かったことだと考える。これにより、Atlassian社は以下のように急成長を遂げ、2014年当時で年率44%成長を達成した。

Tomasz Tungusブログより

これまで語ったように、SMBからエンタープライズへの顧客セグメントの拡大に枚挙に暇がないが、あくまでも超一般論として理解してほしい。市場や競合、プロダクトの特性によって、いくらでも例外があるので、サービスの拡大戦略を考える参考にして頂ければ幸いに思う。

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Masayuki Minato

Venture capitalist@Salesforce Ventures. Focus on investing and empowering B2B startups. Worked for GREE Ventures, BCG and BASF. Carnegie Mellon MBA