6年越しの卒業旅行、オランダ行ってきました。

間瀬 海太
10 min readFeb 23, 2019

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2年前に諦めたはずの(笑)、卒業旅行にやっと行ってきました。

訪れたのは「オランダ」。

オランダの世界遺産、キンデルダイク(Kinderdijk)の風車の前にて。

オランダを選んだのは、単純にヨーロッパに行ってみたかったからが4割…笑。

それと、ちょっとだけ真面目な目的もあって、オランダを選びました。

そもそも、2年前に「4年で大学を卒業する」ことを諦めた時に、「おれは卒業旅行行けないんだろうなぁ」と覚悟(?)を決めていたから、そもそも行けると思ってなかったのが正直な気持ちです。

6年越しの卒業旅行、思う存分オランダを楽しんできました。少しだけお付き合いください。

オランダに行くまでの話。

オランダに興味を持ったのは、昨年10月くらいのことでした。

小布施で一緒に活動している平岡駿さんから苫野一徳さんの『教育の力』の本を薦めてもらったことがきっかけでした。

教育の力』はオルタナティブ教育の可能性や教育の本質的な可能性について書かれた本です。その中で、「イエナプラン」という学校運営の考え方が何度か紹介されており、読めば読むほど興味を持ちました。

イエナプラン」そのものは前から知っていたんですが、この本を読んだ時になぜか「現地を見てみたい」と衝動が止まらなくなってしましました。自分が小布施の公教育に関わる機会が増えたからでしょうか・・・。

似た時期に、小布施の観光DMOでお世話になっていたせんとさんがオランダに留学に行くことが決まったり、自分の中でオランダへの親近感が勝手に高まっていました。

卒業旅行に行くと決めたのは、12月くらい。

親友、野本日彩子がヨーロッパ巡りをするからオランダで合流できるかもしれないという話になり、オランダに行く日付が決まったのは1月の年明けだった気がします。

オランダまでは成田空港からドバイを経由して片道約24時間の長旅 …。

オランダ滞在中は4つの都市を巡りました。

1日目: アムステルダム。

アムステルダム(Amsterdam)は東京駅のモデルになった「アムステルダム中央駅」、「ダム広場」、アンネ・フランクの家、王宮(離宮)が有名な街です。

アムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)
「アムステルダム」はアムステル川をせき止めたダムの上に作った街という意味らしい。

個人的にツボだったのは「ダム広場」。

「ダム広場」、迷ったらダム広場に行けが観光客の合言葉らしい。by Wikipediaの知識から

ダム広場は、都市設計でよく語られる「ヨーロッパの都市の広場」を思わせる場所でした。

アムステルダムは13世紀にアムステル川をせき止めるダムの上につくられた街という意味の言葉らしいです。王宮(離宮)もダム広場の近くにあり、アムステルダムそのものはオランダの憲法で首都に決められています。

アムステルダムのダム広場を歩きながら、「昔のアムステルダム人が考えをめぐらして設計したのか」って勝手に黄昏ていました…。小布施で都市設計のことを少しかじったせいかもしれません….。

この日から、オランダ滞在中は小布施でお世話になったせんとさんのお家(ロッテルダム)にお邪魔になりました。

せんとさん・美里宅にて。小布施の穀平味噌と、松葉屋本店の酒粕をお土産に。

2日目: ロッテルダム。

2日目はロッテルダム(Rotterdam)周辺を巡りました。

午前中はせんとさんが今MBAを取りに行っているエラスムス大学の大学院を案内してもらったり、大学院の授業に潜らせてもらったりしました。

Rotterdam Management School、Self Marketingの授業に潜入。

午後はオランダの世界遺産、キンデルダイクへ。

オランダは国際的には、”Netherland”という呼び名が一般的です。”Netherland”は低い土地という意味で、オランダは国土の1/4が界面より低く、水害は深刻な問題だったそうです。開拓が必要だったオランダの水抜きのために活躍したのが、この風車達でした。

オランダの都市には風車がたくさんあります。その中でもここ、キンデルダイクの風車は世界遺産に登録されています。

キンデルダイクの19の風車。
のどかな景色が続きます。
風車の中の車輪は圧巻。写真だとあまり伝わらないかも。

3日目: ライデン、ハーグ。

3日目はオランダ初のプロテスタント系大学・ライデン大学、シーボルトが自宅につくった日本博物館・シーボルトハウス、『夜警』で有名な画家・レンブラントの住まいがあるライデン(Leiden)と、平和宮(国際司法裁判所)や王室宮殿、オランダの政治的中心であるハーグを訪れました。

ライデン大学(Leiden University)
シーボルトの自宅であり、世界初の日本博物館と言われる「シーボルトハウス」。
オランダでは基本、ハイネケンばっか飲んでいました。水より安いそうです。
ハーグ国際司法裁判所(別名、平和宮)
オランダ王室宮殿

オランダに行った真面目な理由。

もともと、卒業旅行の行き先に「オランダ」を選んだのはヨーロッパに行きたかったという気持ちが4割でしたが、本当はオランダが世界に先駆けて実践している「イエナプラン」という学校運営の考え方の現場を見に行くためでした。

今回、様々な方に相談させてもらったのですが急なスケジュールでもあったのと、色々な事情でイエナプランの学校を直接見に行くことはできませんでした(残念です…)。

相談に乗ってもらった人達には本当に感謝しています。自分の世界が広がりました。

その代わり、エラスムス大学とライデン大学を見れたのは大きかったです。

あまり人に言えてないんですが、僕、3年後か4年後にオランダに留学しようと考えています。オランダの大学院で勉強しながら、オランダのイエナプランの現場を自分の目で見て、そこで働きたい気持ち(インターンでもいい)が昨年末あたりからふつふつと湧いています。

今回、ロッテルダムとライデンの街を見て、街の雰囲気を知ったり、そこで学ぶ想像ができただけでも収穫です。

やっぱり自分の目で見てその場を体験するから、前以上の興味が溢れてきます。アムステルダム、ロッテルダム、ライデン、ハーグの街を歩くと、その街が生まれて今の形になるまでの歴史をどこかしら感じることができて、オランダの歴史やヨーロッパの歴史にも興味が出てきました。

ヨーロッパの街が重ねてきた歴史があるからヨーロッパの街並みがある。ヨーロッパの人々の文化みたいなものも歴史の中で生まれている。アメリカの街とも日本の街とも重ねてきた歴史が違うから、今のヨーロッパがある。

オランダは教育だけじゃなくて、エコロジカルな行政サービスや都市設計の意味でも日本の3周くらい先を行っている気がしました。

オランダをそうさせているのは、今日に至るまでにオランダの人々の歩んできた道のりがあるからです。その道のりに少しでも触れて、日本に持って帰りたい。

明治のはじめに、日本人の若者が初めてヨーロッパに行き驚いたという話をSFCに入る時に「福翁自伝」で読んだけど、オランダから帰る時の自分の中にはその時の若者の気持ちを少し想像している自分がいました。

「高校時代、世界史Aで済ませてしまったからもう一度勉強しよう」

その勢いがあいまって、Kindleで世界史の本を2冊も買ってしまいました … 笑。帰りの飛行機の中で一冊読み終えましたww

世界史が気になると、今の世界も気になって『FACTFULLNESS』も買って読んでしまいました…ww

今、自分のいる場所でどうインパクトを出していくのか。改めて勉強し直して、自分の哲学を磨いていきたいです。

そしたら、ここらへんで。

お世話になったせんとさん・美里夫妻、日彩子、自分。

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間瀬 海太

あっちに行ったり、こっちに行ったり。フィールドトリップやワークショップを作っています。◆肩書◆学校法人角川ドワンゴ学園 / (一社)小布施まちイノベーションHUB / (NPO)Seattle iLEAP社会起業家育成プログラムAmbassador